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長野県の須坂市で起きた出来事です。紀元前から直近まで収録してあります。データの加除は随時で行います。 【データ収録範囲】紀元前~平成26年12月31日まで 【更新履歴】2015.10.28データを追加(H26)
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#lang ja
#attribution_name 長野県須坂市
#attribution_url http://www.city.suzaka.nagano.jp/
#license http://creativecommons.org/licenses/by/3.0/deed.ja
#file_name suzakacity_history
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1 BC12000 - - - 須坂市 先土器時代人が宇原遺跡(東地区仁礼)にその痕跡を残す。 -/-
5 BC10000 - - - 須坂市 縄文時代に入り、石小屋洞穴(東地区仁礼山)に人が住みはじめる--草創期。 -/-
8 BC7000 - - - 須坂市 菖蒲沢岩陰(東地区仙仁山)に人が住みはじめる--早期。 -/-
9 BC7000 - - - 須坂市 石小屋洞穴(仁礼地区仙仁山)や菖蒲沢岩陰(仁礼地区仙仁山)など、山岳地帯で狩猟が盛んに行われる。 -/-
12 BC5000 - - - 須坂市 須坂地方では頭山遺跡(東地区西原)などの山間地に人が住むようになる--前期。 -/-
15 BC3500 - - - 須坂市 三入道遺跡(高甫地区上八町)に生活の痕跡を残す--中期。 -/-
18 BC2000 - - - 須坂市 橋場遺跡(日滝地区本郷)に集落が営まれるようになる--後期。 -/-
22 BC1000 - - - 須坂市 縄文時代の遺跡が減少し、お天神遺跡(東地区塩野)にわずかにその痕跡を残すのみとなる--晩期。 -/-
25 AD - - - 須坂市 須坂地方に稲作が伝わり、須坂園芸高校遺跡が営まれる。 -/-
28 57 - - - 須坂市 櫛目文土器が盛行し、須坂地方でも多用される。 -/-
31 107 - - - 須坂市 北小河原遺跡(豊洲地区)や蒔田遺跡(日野地区)などの扇端部に集落が営まれる。 -/-
41 300代後半 - - - 須坂市 鎧塚第1号墳(高甫地区上八町)がつくられる。 -/-
43 400代 - - - 須坂市 天神第1号墳(井上地区米持)がつくられる。 -/-
46 400代後半 - - - 須坂市 鎧塚第1号墳(高甫地区上八町)がつくられる。 -/-
47 500代 - - - 須坂市 天塚第1号墳がつくられ、鮎川右岸に古墳が密集してくる。また、坂田山麓や日滝原(日滝地区)をはじめ、河東地域に積石塚が盛んにつくられはじめる。 -/-
48 500代 - - - 須坂市 小河原遺跡群(井上地区)など、扇端部に大集落が形成される。 -/-
67 701 大宝1 - - 須坂市 このころ左願寺(小河原地区)が創建される。 -/-
89 781 天応1 - - 須坂市 高井郡の墨坂神社と越智神社に封戸が与えられる。 -/-
93 823 弘仁14 - - 須坂市 八幡(須坂地区)付近に私寺ができる。 -/-
100 927 延長5 12 - 須坂市 藤原忠平らが「延期式」の編さんを完成し、その中に高井牧が記され、また神名帳に墨坂神社・越智神社・小坂神社が記載される。 12/-
102 937 承平7 - - 須坂市 このころ源順が「倭名類聚抄」をつくり、高井郡内の郷として稲向郷・日野郷等が記載される。 -/-
108 1040 長久年間 - - 須坂市 このころ源頼信の子頼季が嫡男満実とともに高井郡井上に来住し、地名をとって姓を井上と称するという。(西暦1040~1044年) -/-
109 1056 天喜4 8 - 須坂市 前9年の役がはじまり、井上頼喜・井上満実は源頼義に従って出陣するという。 8/-
110 1056 天喜4 - - 須坂市 このころ井上氏は、野辺に国光(野辺三郎)、米持に家満(米持五郎)、村山に家平(村山六郎)、高梨に盛光(高梨七郎)、八重森に重満(八重森八次郎)を分出するという。 -/-
113 1098 承徳2 8 - 須坂市 千曲川大洪水で沼目村福正寺が大破する。 8/-
114 1131 長元1 - - 須坂市 このころ高井郡内に芳美御厨が成立する。 -/-
115 1131 長元1 - - 須坂市 このころ塩野郷・小島郷・米持郷・高梨郷・栃倉郷が成立する。 -/-
117 1167 仁安2 - - 須坂市 このころ米子不動信仰がおこる。 -/-
118 1167 仁安2 - - 須坂市 このころ東条荘が成立する。 -/-
121 1180 治承4 9 - 須坂市 井上一族の村山義直等信濃源氏が笠原頼直等の平氏勢に攻められ、市原(長野市芦田付近?)で戦う。 9/-
123 1181 治承5 6 - 須坂市 横田河原(長野市篠ノ井)の合戦で井上光盛が活躍する。 6/-
125 1184 元暦1 7 - 須坂市 井上光盛が源頼朝により、駿河の菖蒲駅で誅殺される。 7/-
129 1190 建久1 10 - 須坂市 源頼朝が上洛し、村山七郎・高梨次郎・須田小太夫が随行する。 10/-
131 1192 建久3 - - 須坂市 このころ米子不動本尊不動明王がつくられる。 -/-
137 1277 建治3 - - 須坂市 妙心寺開祖関山慧眼国師が高梨高家の子として生まれるという。 -/-
141 1329 元徳1 - - 須坂市 「守矢文書」に井上郷が記載されている。 -/-
142 1329 元徳1 - - 須坂市 「諏訪上社文書」に大岩郷・塩野郷・小島郷をはじめ10郷の名が記載されている。 -/-
146 1336 (北朝)建武3(南朝)延元3 1 23 須坂市 高梨五郎・同太郎時綱らが村上信貞に従って牧城に香坂小太郎入道心覚を討つ。 1/23
147 1336 (北朝)建武3(南朝)延元3 6 26 須坂市 勢力を盛り返した香坂小太郎入道心覚らを高梨経頼・同時綱らが討つ。 6/26
148 1336 (北朝)建武3(南朝)延元3 - - 須坂市 高梨一族が所領争いをおこし、一門の衆中批判によって裁定する。 -/-
150 1346 (北朝)貞和2(南朝)正平5 - - 須坂市 井上一族が祢津宗良とともに野辺原の戦で高梨経頼ら北朝軍を破る。 -/-
151 1350 観応1 6 29 須坂市 普願寺が武蔵国秩父郡大岩より日滝村に移るという。 6/29
152 1390 (北朝)元中7(南朝)明徳1 - - 須坂市 「高梨文書」に松川北(小布施町)が初めてあらわれる。 -/-
155 1400 応永7 9 - 須坂市 大塔合戦(長野市篠ノ井)で、村山・井上・高梨氏ほか信濃武士が新守護小笠原長秀を破る。 9/-
160 1449 宝徳1 8 15 須坂市 高梨氏一族15名が10カ条にわたる領内支配の規範を定める。 8/15
162 1473 文明5 - - 須坂市 普願寺が日滝村から小山村に移るという。 -/-
164 1493 明応2 - - 須坂市 臥竜山興国寺が創立される(開山天英祥貞)。 -/-
165 1510 永正7 6 - 須坂市 高梨政盛が関東管領上杉顕定を討ちとる。 6/-
171 1555 弘治1 10 15 須坂市 高梨一族の小島修理亮が武田万につき、河南1500貫の地を給与される。 10/15
172 1556 弘治2 6 2 須坂市 井上左衛門尉が武田晴信から綿内領350貫文の地を与えられる。 6/2
177 1562 永禄5 - - 須坂市 仁礼衆50人が須田信頼支配下の500貫文の地を与えられる。 -/-
178 1563 永禄6 - - 須坂市 井上新左衛門が綿内3ヵ所の地を与えられる。 -/-
180 1567 永禄10 - - 須坂市 伊藤右京亮が坂田郷300貫文の地を与えられる。 -/-
181 1572 元亀3 - - 須坂市 農村が荒廃し、須坂地方からも逃散者が出る。 -/-
182 1580 天正8 - - 須坂市 須田満親が三条城開城の検使となる。 -/-
183 1582 天正10 5 - 須坂市 17人の井上衆が直江兼続から持城を構えることを許される。 5/-
185 1582 天正10 7 - 須坂市 上杉景勝が須田但馬守ら7人(須田衆)に本領を安堵する。 7/-
186 1585 天正13 5 - 須坂市 須田信正が上杉景勝に誅殺される。 5/-
187 1585 天正13 6 - 須坂市 須田満親が海津城将となる。 6/-
188 1586 天正14 - - 須坂市 須田満親が万竜寺を再興する。 -/-
189 1586 天正14 - - 須坂市 八町伝助・高山仁助が直江兼続から給地を与えられる。 -/-
192 1589 天正17 - - 須坂市 須田満親が豊臣秀吉から豊臣の姓を与えられる。 -/-
200 1598 慶長3 12 - 須坂市 田丸直正が八町村勝善寺に寺領を与える。 12/-
201 1600 慶長5 2 1 須坂市 田丸直正・関一政が家康によって美濃国内に移され、かわって森忠正が海津城主となり北信濃4郡を支配する。 2/1
209 1608 慶長13 6 - 須坂市 松平忠輝が小山村興国寺に臥竜山を寄進し門前を守護不入とする。 6/-
211 1610 慶長15 - - 須坂市 堀直重が須坂領6000石を与えられる。 -/-
214 1611 慶長16 - - 須坂市 福島宿などに伝馬証文が出され、公許される。 -/-
219 1615 元和1 - - 須坂市 堀直重に4000石が加封される(須坂藩の成立)。 -/-
224 1617 元和3 12 - 須坂市 塩野村の才兵衛が小笠原忠知の許可をうけ、北原の新田開発をおこなう(~寛永4年12月)。 12/-
225 1618 元和4 4 - 須坂市 旗本河野氏勝が相之島村・中野村に入封する。 4/-
228 1619 元和5 - - 須坂市 福島正則が広島から高井郡に流され、須坂地方の一部を支配する。 -/-
229 1620 元和6 - - 須坂市 堀直升が須坂藩の地詰検地をおこなう(~元和7年)。 -/-
230 1621 元和7 11 - 須坂市 福島村の理右衛門が千曲川沿いに320石余の新田開発を始める(~寛永1年)。 11/-
232 1621 元和7 - - 須坂市 福島正則が領内の検地をおこなう。 -/-
234 1623 元和9 - - 須坂市 勝善寺が八町より須坂へ移る。 -/-
235 1624 寛永1 7 - 須坂市 福島正則が没し、2万石が幕府に没収される。子正利が改めて3000石をつぐ。 7/-
237 1626 寛永3 - - 須坂市 八町村と井上村の用水論に決着がつく。 -/-
239 1627 寛永4 - - 須坂市 堀直升が寿泉院を再興する。 -/-
240 1628 寛永5 - - 須坂市 堀直升が須坂藩の地詰検地をはじめる(~寛永6年)。 -/-
241 1631 寛永8 4 - 須坂市 小笠原忠知の奉行が中島村通水を井上村に命ずる。 4/-
245 1637 寛永14 - - 須坂市 福島正利が没し、3000石が幕府領となる。 -/-
246 1639 寛永16 7 - 須坂市 浄念寺が藩主の命により、新町から春木町へ移転する。 7/-
252 1647 正保4 - - 須坂市 井上村の亀倉奥山への入会権をめぐり、井上村と亀倉村が争う(慶安4年再発)。 -/-
254 1649 慶安2 - - 須坂市 灰野入7カ村入会と塩野村内山との境界論がおこる(正徳3年再発)。 -/-
256 1650 慶安3 - - 須坂市 仁礼・大笹宿が北国街道の宿駅との争いに勝訴し、大笹街道が北国脇往還として公許される。 -/-
258 1656 明暦2 - - 須坂市 相森新田が成立する。 -/-
259 1661 寛文1 - - 須坂市 甲府松平綱重が幸高ほか高井郡24か村を領地する。 -/-
260 1662 寛文2 - - 須坂市 大笹宿に関所ができる。 -/-
261 1663 寛文3 6 7 須坂市 八町・井上両村の鮎川用水論がおこる。 6/7
262 1664 寛文4 - - 須坂市 村石新田村が成立する。 -/-
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