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221 | 宇部市渡辺翁記念会館 | 33.958126 | 131.244651 | 宇部市発展の基礎を築いた渡辺祐策翁の威徳を顕彰するため、翁の関係した沖ノ山炭鉱株式会社・宇部窒素工業株式会社・宇部セメント製造株式会社・株式会社宇部鉄工所・宇部電気鉄道株式会社・新沖ノ山炭鉱株式会社・宇部紡績株式会社は、「渡辺翁記念事業実行委員会」を発足させ、市民館の建設及び周囲に公園を開設することを決めました。市民館はこの事業7社の寄付により建築され、「渡辺翁記念会館」と名付けられました。会館の前面テラスにある中央台座と左右3本ずつの記念柱はこれら7社を象徴しているといわれています。1935年(昭和10年)10月に着工、同12年7月に落成式と宇部市への贈呈式が行われました。設計は昭和を代表する建築家の村野藤吾氏(1891~1984)で、彼の戦前における集大成作品といえます。さらに、表現派の系譜をひくモダニズム建築の代表作であるとともに、日本近代建築の一つの到達点を示す作品として重要です。1999年(平成11年)には、(社)日本建築学会から国内のモダン・ムーブメントを象徴する建築物20選の一つに選ばれています。また、2005年(平成17年)には、経済産業省により、「地域活性化に役立つ近代化産業遺産」に認定されました。また、国内外の著名な音楽家が演奏に訪れ、その音響効果を絶賛したと伝えられます。 | 国指定文化財 | 建造物 | 2005-12-27 | 宇部市 | 山口県宇部市朝日町8-1 | 1937年(昭和12年) | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000221_1_t2.jpg | ||
222 | 法泉寺厨子 | 34.088278 | 131.347697 | 厨子は、仏像などを納める箱をいいます。入母屋造の妻入で、背面は切妻です。桁行二間76.4cm(側面)、梁間一間86.1cm(正面)で、屋根は瓦葺き風の木造です。正面扉は桟唐戸で、側面に花頭窓が見られるなど、全体に禅宗様式でまとめられ、その手法などから室町時代中期(15世紀後半頃)に造られたと思われます。県内でも数少ない中世建築の一つです。法泉寺は明応年間(1492~1501)に、大内氏によって山口に建立された禅宗寺院で、大内氏滅亡後は小野に移されました。また大内氏は享禄年間(1528~32)に棯小野に寿明院観音堂も建立していました。この厨子は観音堂にあったといわれ、寿明院が廃寺後に、大内氏ゆかりということから法泉寺に移されたと考えられます。 | 県指定文化財 | 建造物 | 1980-12-05 | 法泉寺 | 山口県宇部市小野棯小野 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000222_1_t2.jpg | |||
223 | 王子出土の五輪塔 | 33.960203 | 131.245483 | 総高62.7cm。石灰岩製。五輪塔は上から空・風・火・水・地輪と呼び、供養塔または墓として建てられました。この資料は、火輪の屋根に「康永四年正月五日」(1345年)と刻まれた、県内でも数少ない銘のある五輪塔です。五輪すべてが完形で、全体的に鎌倉後期の力強さと美しさを残しており、南北朝期の五輪塔の典型を示すものとして貴重です。東岐波王子地区には他にも中世資料が残り、中世文化を探る資料としても貴重です。 | 市指定文化財 | 建造物 | 1993-04-06 | 宇部市 | 山口県宇部市大字船木361-6 宇部市学びの森くすのき | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000223_1_t2.jpg | |||
224 | 妙典供養碑 | 34.117176 | 131.279011 | 鎌倉期から江戸期にかけて盛んに造られた板碑で、石造卒塔婆(そとば)では町内唯一のもの。「常音敬白 為妙典万部供養」と刻銘されています。高さ128cmの自然石です。正面上方に大日如来を示す梵字、中央には蓮弁が彫られ、下方には銘文が彫られ、下方に刻まれた銘文から天文15年(1546)に造られたことがわかります。 | 市指定文化財 | 建造物 | 1991-04-01 | 吉部11区(黒川)自治会 | 山口県宇部市吉部黒川 | 1546年(天文15年) | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000224_1_t2.jpg | ||
225 | 沖ノ山電車堅坑石垣 | 33.954616 | 131.228887 | 1897年(明治30年)創業の沖ノ山炭鉱は、石炭需用の急激な増加などにより、海底に向かって石炭の採掘を進めていきました。1913年(大正2年)には、沖合に100間(182m)角の築島(人工島)を構築し、新坑を開設し、さらに1922年(大正11年)、築島西の海中に新坑(大派竪坑・五段竪坑)を掘削しました。本石垣は、大派竪坑の坑口を保護するためのものとして、1925年(大正14年頃)までに築造されました。1953年(昭和28年)には大派竪坑の下に電車坑道まで至る竪坑(地下248.5m)が追加掘削され、電車竪坑と呼ばれるようになりました。大正時代に工業都市として栄えた本市に現存する数少ない初期の産業遺産です。なお、地上部にある巻上やぐらは、1964年(昭和39年)に改修されましたが、当時の原型を踏襲しているものです。 | (国)登録有形文化財 | 建造物 | 1997-11-05 | 宇部興産株式会社 | 山口県宇部市大字小串字沖ノ山 | 1922年~1925年(大正11~14年) | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000225_1_t2.jpg | ||
226 | 旧桃山1号配水池監視廊入口 | 33.973999 | 131.245898 | 大正時代、炭鉱を中心に宇部村の産業は急速に発展し、人口も急増しました。それに伴い市街地では上水道の施設が望まれていました。当時沖ノ山炭鉱は独自に炭鉱や社宅への給水工事を計画し、同時期本市でも上水道敷設を計画していたので、沖ノ山炭鉱は将来、市に施設を譲渡することで工事に着手しました。施設は1924年(大正13年)12月に完成し、1926年(同15年)宇部市が買収しました。厚東末信から厚東川の水を取水し、中山の浄水場で処理した後、ポンプで当配水池に揚水し、自然流下方式で目的地に配水しました。配水池の地上部には鉄筋コンクリート造の監視廊が設けられており、その外観は当時流行したゴシック様式で、柱頭装飾がある柱形や尖頭形アーチを用いた入口の意匠に特徴があります。なお、1号配水池は1987年(昭和62年)11月まで使用されました。また隣接して建造された3号配水池の展望塔からは市街地や周防灘が一望できます。(土曜・日曜のみ一般開放・無料) | (国)登録有形文化財 | 建造物 | 1997-11-05 | 宇部市 | 山口県宇部市西桃山 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000226_1_t2.jpg | |||
227 | 桃山配水計量室 | 33.971895 | 131.246369 | 山頂の配水池に貯水した水を市街地へ配水するには、桃山配水池の標高(約66m)を利用して行われました。自然流下方式で水圧を高め、目的地の隅々までの配水を可能にしました。この計量室では、口径400ミリの管2条と350ミリの管1条を引き込んで、配水量の計量が行われました。直線的な柱形と穏やかなアーチ形をした入口の窓との対照の美に特徴があります。建物は実際は八角形ですが、六角堂と呼ばれ広く市民に親しまれています。現在の屋根は2002年(平成14年)に復元されたものです。監視廊入口とともに、本市の水道施設を代表する最も古い建造物です。 | (国)登録有形文化財 | 建造物 | 1997-11-05 | 宇部市 | 山口県宇部市西桃山 | 1924年(大正13年) | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000227_1_t2.jpg | ||
229 | 紙本着色八幡縁起絵巻(横瀬八幡宮) | 34.132271 | 131.325355 | 上巻縦35.7cm、全長18.67m、下巻縦35.7cm、全長13.73mで、木箱に納められています。八幡縁起絵巻は祭神の応神天皇の母、神功皇后の武勲や八幡宮の創立記などを、絵と詞書で交互に記したものです。この絵巻の絵は土佐派の様式を持ち、特に背景の山水の描写は写実的な手法が用いられ、熟練した人の作と見られます。箱書には、1516年(永正13年)に僧徳在が横瀬八幡宮に絵巻を寄進したと墨書してあり、絵巻の製作もその頃と思われます。横瀬八幡宮は、1327年(嘉暦2年)の創建で、末信正八幡宮を勧請したと伝えられ、また別の記録では、同年宇佐八幡宮を勧請し、厚東武政が建立したともいいます。 | 県指定文化財 | 絵画 | 1969-04-25 | 横瀬八幡宮 | 山口県宇部市小野(上小野) | 室町時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000229_1_t2.jpg | ||
230 | 普応中興大建禅師画像 | 34.02242 | 131.240762 | 絹本着色、縦118cm、横54.5cm。南嶺和尚のあとを嗣いだ大建元幢の頂相(ちんぞう)画です。法衣の上に袈裟を着け、右手にしっぺいを持ち、椅子に座った姿です。禅師、おだやかな中にも眼光けいけいとして力強く、筆致もなめらかに描かれており、優秀な作品です。この画像は、大建禅師のあとを嗣いだ桂隠元久が、1451年(宝徳3年)の遣明船で渡明したときに、日本で描かせた師の頂相を持って行き、天竺霊山の「おう幻」という僧に賛を求め、持ち帰ったものです。賛は「普応中興大建禅師像」と題されています。明の1454年(景泰5年)、わが国では1455年(享徳3年)(足利義政の頃)にあたります。大建禅師は松源が開創した普応寺の6世で、その中興となったこと以外は不詳ですが、当時の東隆寺の勢力を知る手掛かりとして貴重な資料です。頂相とは禅僧の肖像画をいい、禅宗では師から弟子に対してその法を譲るとともに頂相を与えるのがしきたりでした。 | 県指定文化財 | 絵画 | 1969-12-05 | 東隆寺 | 山口県宇部市厚東棚井 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000230_1_t2.jpg | |||
231 | 厚東武実画像 | 34.022525 | 131.240889 | 縦116cm、横53.7cm、絹本着色。武実は厚東氏第14代で、長門国守護に任ぜられ(建武元年=1334年)、東隆寺や浄名寺を創建するなど歴代の中でも文武に優れた武将です。厚東氏の黄金時代を築いた名大将としての風格がよく描かれた、武家の法体画像の優作です。製作は室町時代と思われます。武実は1348年(正平3年)に京都で亡くなりましたが、供養のため東隆寺に画像が納められたと考えられます。 | 市指定文化財 | 絵画 | 1972-04-14 | 東隆寺 | 山口県宇部市厚東棚井 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000231_1_t2.jpg | |||
232 | 南嶺和尚画像 | 34.022546 | 131.240895 | 縦115cm、横54.4cm、絹本着色。東隆寺を開山した京都の高僧南嶺子越の頂相画(禅僧の肖像画)です。破損が著しく、彩色も剥落していますが、複雑な衣紋の描写は力強く、室町時代初め頃の製作と思われます。「南嶺和尚道行碑文」によると、和尚は1363年(貞治2年)に亡くなりましたが、将軍足利義満は和尚を崇拝していたので、頂相2枚を作らせ、1枚は自分の館に置いて供養し、1枚は東隆寺に与えて寺の栄誉とさせたといいます。 | 市指定文化財 | 絵画 | 1972-04-14 | 東隆寺 | 山口県宇部市厚東棚井 | 室町時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000232_1_t2.jpg | ||
233 | 紙本着色恒石八幡宮縁起絵巻 | 34.022402 | 131.247926 | 上巻(縦35.2cm、全長17.45m)、下巻(幅35.1cm、全長15.46m)で、木箱に納められています。下巻巻末の奥書から、この絵巻は棚井村八幡宮の神主源員義が願主となり、1478年(文明10年)に製作されたことがわかります。絵の全ての輪郭にヘラの跡が残っており、他の絵巻を上敷きして写し取った可能性があります。市内に残る八幡縁起絵巻の中で、製作年代が最も古く、願主、画人、詞書の筆者が明かな例として貴重です。恒石八幡宮は、社伝によれば7世紀頃、厚東武基が宇佐八幡宮の御神体を海中から取り上げ仮殿に安置し、後に霜降城の鬼門にあたる現在地へ遷されたといいます。 | 市指定文化財 | 絵画 | 1979-04-04 | 恒石八幡宮 | 山口県宇部市厚東棚井 | 室町時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000233_1_t2.jpg | ||
234 | 紙本着色琴崎八幡宮縁起絵巻 | 33.97189 | 131.2705 | 上巻(縦32.9cm、全長18.22m)、下巻(幅32.6cm、全長16.4m)です。奥書から、恒石八幡宮絵巻を手本として製作されたことが分かりますが、残念ながら作者や製作年代を記した部分が欠けています。江戸時代の資料「風土注進案」には、絵巻を納めていた箱に、1491年(延徳3年)宇部村出身の僧融隣によって奉納されたという記述があると書かれています。絵は水墨画調で、雪舟の画風を学んだ熟練した人の作と思われます。琴崎八幡宮は、平安時代初め宇佐八幡宮の御幣を琴芝に祭ったのが起源で、元暦の頃(1184年頃)厚東武光が西ノ宮に再建して宇部村の鎮守としたといいます。現在地には1379年(永和3年)に遷座しました。 | 市指定文化財 | 絵画 | 1979-04-04 | 琴崎八幡宮 | 山口県宇部市上宇部大小路 | 室町時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000234_1_t2.jpg | ||
235 | 紙本着色南方八幡宮縁起絵巻 | 33.966959 | 131.354599 | 1巻(縦31.3cm、全長8.42m)、2巻(縦31.5cm、全長10.0m)、3巻(縦31.4cm、全長11.28m)です。通常の絵巻は上下2巻仕立てですが、本絵巻は3巻で、江戸時代享保年間に弘済寺が補修した際に上巻を2つに分けたと考えられます。絵は地方の絵師によるものと思われますが、詞書(文字の部分)の筆致は優れています。作者、製作年代は不明ですが、絵の随所に中世の特徴が見られ、室町時代のものと考えられます。南方八幡宮は751年(天平勝宝3年)、厚東氏4代武綱が宇佐八幡宮を迎えたのが始まりで、当初古尾八幡宮と称していましたが、南北に分かれ西岐波に遷ってからは南方八幡宮と呼ばれています。また弘済寺はかつて南方八幡宮の別当寺で西岐波にあり、その関係で本縁起が弘済寺に伝えられたものです。 | 市指定文化財 | 絵画 | 2002-04-15 | 弘済寺 | 山口県宇部市東岐波丸尾 | 室町時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000235_1_t2.jpg | ||
236 | 紙本着色八幡縁起絵巻(宮尾八幡宮) | 34.071064 | 131.240218 | 縦32cm、長さは上下巻で約12mです。宮尾八幡宮の由来が文章と絵画を交互に使って描かれています。絵画は春伝、文章は善修が製作して永正5年(1508)に書かれたことが記されています。 | 市指定文化財 | 絵画 | 1991-04-01 | 宮尾八幡宮 | 山口県宇部市大字西万倉1774 | 1508年(永正5年) | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000236_1_t2.jpg | ||
237 | 紙本着色孔子画像 | 34.044863 | 131.22357 | 日本画家「大庭学遷」の作品。画幅110cm、画縦215cm。作者の学遷(1820~1899)は温雅な山水花鳥を得意とした日本画家です。この作品は、学遷が長州藩内を旅していたときに描かれたものと考えられています。船木船木宰判代官所で、毎年の正月始めの行事に、この絵を背に代官が「郡中制法」を読み聴かせていました | 市指定文化財 | 絵画 | 1994-04-01 | 宇部市 | 山口県宇部市大字船木361-6 宇部市学びの森くすのき | 江戸末期 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000237_1_t2.jpg | ||
238 | 木造地蔵菩薩坐像 | 34.022515 | 131.240859 | 桧材の寄木造りで、像高は78.6cmです。等身大の普通の地蔵菩薩像で、東隆寺の本尊として安置してあります。肉厚のがっしりとした造りや太くうねりの強い衣紋を重ねた表現などに見るべきものがあり、南北朝時代の優れた中央仏師の作と思われます。また連弁に宝珠のある台座や、荘厳な二重円相の光背も本像とほぼ同時期のものと見られます。特に光背の出来は優れています。東隆寺は1339年(暦応2年)に厚東武実が南嶺子越和尚を請じて建立した寺ですが、本像は創建時から信仰の対象であったと思われます。市域を代表する仏像です。 | 県指定文化財 | 彫刻 | 1973-03-30 | 東隆寺 | 山口県宇部市厚東棚井 | 南北朝時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000238_1_t2.jpg | ||
239 | 木造薬師如来坐像(宮尾八幡宮) | 34.071144 | 131.240216 | 万倉の宮尾八幡宮の境内に安置されています。像高は89cmで、くす材の一木造り。背板に元亨4年(1324年)に別府村の寺の本尊として作られたことが書かれています。 | 県指定文化財 | 彫刻 | 1966-06-10 | 宮尾八幡宮 | 山口県宇部市大字西万倉字宮尾1816番地 | 鎌倉時代末期 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000239_1_t2.jpg | ||
240 | 木造十一面観音菩薩立像(瑞松庵) | 34.051611 | 131.192057 | 船木逢坂の観音堂に安置されています。像高は105.8cmで、桧材の一木造り。平安時代後期の製作と思われ、行基菩薩作とも伝えられています。古くこの地にあった善福寺の本尊で20年に一度の開帳でしたが、現在では毎年8月16日に開帳しています。「乳貰い観音」ともいわれて、近郷の人々から厚く信仰されてきました。 | 県指定文化財 | 彫刻 | 1966-06-10 | 瑞松庵 | 山口県宇部市大字船木2627番地 | 平安時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000240_1_t2.jpg | ||
241 | 木造十一面観音菩薩坐像(円通寺) | 34.156304 | 131.311741 | 吉部の円通寺の本尊です。像高は57.5cmで、くす材の一木造り。体内の墨書銘に、1345年(康永4年)に製作されたことが書かれています。古く円通寺は吉部の領主内藤氏の祈願所であったといわれています。 | 県指定文化財 | 彫刻 | 1966-06-10 | 宇部市 | 山口県宇部市大字東吉部 | 1345年(康永4年) | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000241_1_t2.jpg | ||
242 | 木造地蔵菩薩立像 | 33.983358 | 131.250995 | 像高は131cmで、桧材の寄木造り。はっきりとした目鼻立ちに、下ぶくれで豊満な顔、さらに法衣や袈裟を柔らかい波で表現しています。その彫法は全体的に写実性に富んで、鎌倉時代中期彫刻の特色をよく示している優作です。後頭部の内側には「長禄二年(1458年)再建之 住持之□」という修理銘が墨書されています。広福寺は、縁起によれば文武天皇の頃(673~685年)役行者が当地で延命地蔵を造り、庵をたてて安置したのが起源といいます。厚東氏は深い信仰を寄せ、文和年間(1352~1355年)までは厚東氏の守り本尊としていました。 | 市指定文化財 | 彫刻 | 1982-03-31 | 広福寺 | 山口県宇部市藤山中山 | 鎌倉時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000242_1_t2.jpg | ||
243 | 木造四天王立像 | 33.98326 | 131.250947 | 持国天(総高57.2cm)、増長天(総高63.9cm)、多聞天(総高62cm)、広目天(総高61.5cm)からなり、いずれも桧材の寄木造りです。四天王は須弥壇の四方を守護し、甲冑をつけた武装の姿で、足下に邪鬼を踏んでいます。小像ながら造作の大きい目鼻立ちには張りがあり、阿形と吽形それぞれの表情に強弱の変化をつけています。また、それぞれの姿は踏みつける邪鬼とも対応して、身のこなしや腰のひねりに動きを見せ、写実性に富んでいるなど、その製作は本格的で優れています。ただ、広袖や裳裾のひるがえりには鈍重さがあり、室町時代の製作と見られます。四天が完備し、保存も比較的良好で、作域もよく、重要な資料です。 | 市指定文化財 | 彫刻 | 1982-03-31 | 広福寺 | 山口県宇部市藤山中山 | 室町時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000243_1_t2.jpg | ||
244_1 | 木造毘沙門天立像 | 34.022531 | 131.240815 | 毘沙門天(総高125cm、像高98.9cm)。不動明王(総高123.9cm、像高96.8cm)。クス材の一木造り。現在、東隆寺観音堂の須弥壇上に本尊の木造聖観世音菩薩坐像の脇侍として安置されています。平凡な地方作で特に優れているとはいえませんが、両像とも後頭部や背面の蓋板に詳細な造像銘などが墨書されており、さらに胎内に諸種の陀羅尼や御幣などの納入品が納められていることは特に貴重で、注目に値します。造像銘によると、両像とも厚東郡棚井村に所在した安養禅寺の本尊阿弥陀如来の脇侍として彫造されたものであることがわかります。毘沙門天は比丘徳香が、不動明王は比丘徳宗が願主となり、仏師源寿大法眼に依頼して彫像させ、1475年(文明7年)8月15日に本尊の左右に安置されました。なお、御幣を納入した例は県内ではありません。これらの墨書や納入品は、当時の信仰生活を伺うことのできる貴重な資料です。 | 市指定文化財 | 彫刻 | 1983-03-31 | 東隆寺 | 山口県宇部市厚東棚井 | 室町時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000244_1_t2.jpg | ||
244_2 | 木造不動明王立像 | 34.022522 | 131.240792 | 毘沙門天(総高125cm、像高98.9cm)。不動明王(総高123.9cm、像高96.8cm)。クス材の一木造り。現在、東隆寺観音堂の須弥壇上に本尊の木造聖観世音菩薩坐像の脇侍として安置されています。平凡な地方作で特に優れているとはいえませんが、両像とも後頭部や背面の蓋板に詳細な造像銘などが墨書されており、さらに胎内に諸種の陀羅尼や御幣などの納入品が納められていることは特に貴重で、注目に値します。造像銘によると、両像とも厚東郡棚井村に所在した安養禅寺の本尊阿弥陀如来の脇侍として彫造されたものであることがわかります。毘沙門天は比丘徳香が、不動明王は比丘徳宗が願主となり、仏師源寿大法眼に依頼して彫像させ、1475年(文明7年)8月15日に本尊の左右に安置されました。なお、御幣を納入した例は県内ではありません。これらの墨書や納入品は、当時の信仰生活を伺うことのできる貴重な資料です。 | 市指定文化財 | 彫刻 | 1983-03-31 | 東隆寺 | 山口県宇部市厚東棚井 | 室町時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000244_2_t2.jpg | ||
245 | 木造聖観世音菩薩坐像 | 34.022526 | 131.240804 | 像高は92.1cmで、桧材の寄木造りです。丸くふっくらとした顔付きや穏やかな目鼻立ち、天衣(てんね)や裳(も)のやわらかな彫り口などに、平安時代後期の特徴が現れています。中央作らしい作風を見せる優れた作品として注目される資料です。当初は東隆寺の旧塔頭(たっちゅう)の一つ禅超院の本尊で、伝承によると平景清の信仰が厚く「景清観音」と呼ばれていたといいます。 | 市指定文化財 | 彫刻 | 1995-03-28 | 東隆寺 | 山口県宇部市厚東棚井 | 平安時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000245_1_t2.jpg | ||
246 | 銅造浮彫菩薩形半跏像 | 34.088299 | 131.347412 | 縦16.3cm、横8.4cm、厚さ0.7cm。長方形の銅板を鋳造し、表面のほぼ中央に半肉彫りの半跏思惟像を鋳出しています。目鼻立ちや衣紋にタガネ彫りの跡がみえます。もともとは鍍金されていたと思われますが、現在はさびの被膜におおわれています。半跏思惟の形をした仏像は6世紀中頃~7世紀中頃にかけて中国・朝鮮で多く見られますが、顔立ちや着衣などの表現からわが国での製作と考えられます。国内では奈良・白鳳時代に多く製作されましたが、本像は全体的な造型からみて平安期の製作と思われます。このような形の彫像は県内でも類例がなく、貴重です。 | 市指定文化財 | 彫刻 | 1991-03-30 | 法泉寺 | 山口県宇部市小野棯小野 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000246_1_t2.jpg | |||
247 | 木造阿弥陀如来坐像 | 33.966354 | 131.252738 | 像高は58.4cmで、桧材の寄木造りです。円相で、体躯は豊胸でがっしりとしてしまりがあります。仏像胎内の丸刀での荒い彫り跡は力強く、全体的にみて鎌倉時代の製作と見られます。宗隣寺の前身である普済寺の本尊仏と見られる古仏で、貴重な資料です。 | 市指定文化財 | 彫刻 | 1996-03-15 | 宗隣寺 | 山口県宇部市大字小串210 | 鎌倉時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000247_1_t2.jpg | ||
249 | 木造聖観世音菩薩立像(瑞松庵) | 34.04004 | 131.21247 | 船木番匠にあった吉祥院の本尊で、現在は瑞松庵に安置されています。別名「番匠観音」。像高は168.7cmで、桧材の寄木造り。藤原中期の製作と思われます。瑞松庵に移されるまでは25年に一度公開される秘仏でした。 | 市指定文化財 | 彫刻 | 1991-04-01 | 瑞松庵 | 山口県宇部市大字船木1581(大野) | 平安時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000249_1_t2.jpg | ||
250 | 南嶺子越住筑前聖福寺諸山疏并江湖疏 | 34.022469 | 131.240771 | 南嶺子越は東隆寺を開山した京都の臨済宗の高僧です。これらは、子越が1359年(延文4年)室町幕府から筑前博多の聖福寺住職に任命され、入寺する際に贈られた上奏文で、絹本に墨書されています。「諸山疏」は縦41.5cm、横157.6cm。筑州近隣の住職達が子越の入寺を招請したもの、また「江湖疏」は縦42.3cm、横156.3cmで、子越の知人等が入寺を請い願う形式の文書になっています。作者は不明ですが、漢文に相当学識のある僧侶と思われます。「南嶺和尚道行碑文」(県指定文化財)に記述のある、南嶺和尚の聖福寺入寺の史実を裏付ける貴重な資料です。 | 国指定文化財 | 書跡 | 1992-06-22 | 東隆寺 | 山口県宇部市厚東棚井 | 室町時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000250_1_t2.jpg | ||
251 | 南嶺和尚道行碑文 | 34.022473 | 131.240736 | 紙本墨書。縦198cm、横103cm。南嶺和尚は京都天龍寺の夢窓国師とも親しい高僧で、1339年(暦応2年)東隆寺を開いたのち、摂津国福厳寺、博多聖福寺などの住職を務めた臨済僧です。晩年は再び東隆寺に戻り、1363年(貞治2年)に没しました。この碑文は、和尚の没後91年目、1454年(享徳3年)に中国の明で作製されたものです。長門国における中世文化の中で、南嶺和尚や東隆寺が占める位置は大きいにもかかわらず、今日に伝わる資料は多くありません。そうした中、この碑文は南嶺和尚の業績を伝える唯一の記録として注目される資料です。碑文内容の石碑は、明和年間(1764年~1771年)、毛利重就により建立されました。東隆寺にあった玉澗橋を萩、大照院に移設した代わりに建てたともいわれています。 | 県指定文化財 | 書跡 | 1969-12-05 | 東隆寺 | 山口県宇部市厚東棚井 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000251_1_t2.jpg | |||
252 | 日本安国寺五葉院記 | 34.0225 | 131.240892 | 紙本墨書。縦127cm、横65cm。日本安国寺とは東隆寺のことです。寺では、住持柏岩西堂の時代に五葉院を建設しましたが、年月を経て諸堂が荒廃してきたので、住持謙室西菴の時、建物の大修理をし、仁渓禅恕に伝えました。仁渓は1539年(天文8年)、大内義隆の遣明使節に加わり、師匠謙室の功績を後世に伝えようと、この五葉院記の文と書を僧・黄鳳鳴に依頼しました(天文9年=1540)。仁渓の話をもとに中国の僧が記したものですが、五葉院再建当時の東隆寺の建物配置や周囲の風景等が記されており、厚東文化の面影を伝える貴重な資料です。 | 県指定文化財 | 書跡 | 1969-12-05 | 東隆寺 | 山口県宇部市厚東棚井 | 室町時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000252_1_t2.jpg | ||
253 | 浄名寺鰐口 | 34.019836 | 131.241547 | 総径35.6cm、鼓面径32.6cm、厚さ12.3cm。青銅製。八葉蓮華座が鋳出してある中央の撞座区が盛り上がっていますが、全体としては扁平な鰐口です。外側の銘帯には銘文が陽鋳(浮彫)されています。銘文から、1464年(寛正5年)に僧尊通が藤原実包に作らせた鰐口とわかります。また、陽鋳銘であることは、最初から浄名寺本堂に掲げるための特注品であることを示しています。現存する防長の中世鰐口の中で、陽鋳銘を持つ唯一の例として貴重な資料です。鰐口は社寺の堂の軒下に吊され、参拝者が祈願のために打ち鳴らす金属製の信仰用具です。 | 市指定文化財 | 工芸品 | 1978-04-10 | 浄名寺 | 山口県宇部市厚東棚井 | 室町時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000253_1_t2.jpg | ||
254 | 王子権現鰐口 | 33.98138 | 131.324561 | 総径28.4cm、鼓面径25.8cm、厚さ9.4cm。青銅製。中型で、鼓面の膨らみの少ない扁平な鰐口です。目の突き出しや唇の幅もこの時代の鰐口としてはかなり大きく、他に例を見ない作風です。銘帯には、1409年(応永16年)、白松庄権現宮に奉納と刻まれています。「風土注進案」によれば、王子権現は751年(天平勝宝3年)に古尾に八幡宮が鎮座される以前からあった古社で、白松庄(岐波・阿知須・佐山一帯)の総鎮守であったといいます。当時は社運も盛んで、白松庄の里人の崇敬を受けていたことがわかります。鰐口は社寺の堂の軒下に吊され、参拝者が祈願のために打ち鳴らす金属製の信仰用具です。 | 市指定文化財 | 工芸品 | 1978-04-10 | 王子自治会 | 山口県宇部市東岐波王子 | 室町時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000254_1_t2.jpg | ||
255 | 浄念寺鰐口 | 34.017572 | 131.24082 | 総径27.8cm、鼓面径25.9cm、厚さ9.8cm。青銅製。中型で、鼓面にわずかに膨らみがありますが、全体としては扁平な鰐口です。目の突き出しが小さく、幅の狭い唇など室町初期の特徴を示しています。銘文から、1404年(応永11年)に末信郷の人々によって薬師寺に寄進されたことがわかります。鰐口は社寺の堂の軒下に吊され、参拝者が祈願のために打ち鳴らす金属製の信仰用具です。 | 市指定文化財 | 工芸品 | 2001-03-28 | 浄念寺 | 山口県宇部市厚東棚井 | 室町時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000255_1_t2.jpg | ||
256 | 持世寺文書 | 34.044845 | 131.223587 | 第1巻は南北朝時代の厚東武実の寺領寄進に関するもので、当時の宇部地方の開発状況がわかる貴重な資料です。1335年(建武2年)の「厚東武実寄進状案」は『宇部』の地名が見える最も早い文書例として注目されます。第2巻は大内政弘、義興の寺領、住持職に関する安堵状、また第3巻は、寺の由緒書が中心で、1486年(文明18年)の「書出案」は寺の由緒を伝える最古の記録として重要です。持世寺は999年(長保元年)、厚東氏が吉見村に創建した厚東郡最初の寺院と伝えられ、その後衰退しましたが、1335年(建武2年)、厚東武実が再興しました。 | 市指定文化財 | 古文書 | 1978-04-10 | 宇部市(寄託) | 山口県宇部市大字船木361-6 宇部市学びの森くすのき | 南北朝時代ほか | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000256_1_t2.jpg | ||
257 | 浄名寺文書 | 34.019871 | 131.241655 | 5巻22通からなっています。1364年(貞治3年)の「浄名寺領知行分目録書出」は、厚東義武時代の浄名寺領を住職長祐が付立てたものです。寺領は約11町(11ヘクタール)で、棚井・広瀬・際波・吉見・吉部に散在しており、厚東氏勢力の広がりを実証しています。これらは、主に厚東武実が寄進したものです。浄名寺は、1335年(建武2年)に厚東武実の祈願所として建立されたと伝えられています。しかし、目録から、1321年(元応3年)に浄名寺領の内検が行われた時、すでに内検分に含まれていたことがわかり、寺の創建が少なくとも1321年(元応3年)以前にさかのぼると思われます。 | 市指定文化財 | 古文書 | 1972-04-14 | 浄名寺 | 山口県宇部市厚東棚井 | 南北朝時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000257_1_t2.jpg | ||
258 | 恒石八幡宮文書 | 34.036033 | 131.254736 | 社領田畑に関する宛行状、田地譲状など2巻11通からなり、中世の在地構造を理解する上で重要な資料です。「厚東義武宛行状」は、1368年(正平23年)に義武が恒石八幡宮の大宮司に任命して、厚東吉見の僧膳田の知行を認めたもので、厚東義武の数少ない文書例として貴重です。厚東義武は、1358年(正平13年)大内弘世の攻撃により豊前国に逃れましたが、勢力を盛り返しいったんは長門国を回復しかけます。この「宛行状」はこれを裏付けているように思われますが、宛行状が効力を発揮したかどうかは疑問が残ります。 | 市指定文化財 | 古文書 | 1979-04-04 | 個人 | 山口県宇部市厚東下岡 | 南北朝時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000258_1_t2.jpg | ||
259 | 福原家文書 | 34.04486 | 131.223607 | 福原家で家伝の主要文書「什書」として整理されたもののうち、まとまった文書を収めた巻子17巻、273通です。鎌倉時代末期から江戸時代末期までのものですが、大部分は南北朝時代から室町・戦国時代、江戸時代前期にかけての文書です。長井氏や毛利氏の安芸国での成長過程、あるいは関ヶ原以後、毛利藩成立段階における動向等を伺うことができます。文書の様式としては、足利尊氏をはじめとする室町将軍家の御教書、山名・大内氏等大名、織田信長・豊臣秀吉の書状、元就・隆元・輝元・秀就等、毛利当主の書状が中心で、1625年(寛永2年)の宇部村ほかの配所付立も収められています。福原家文書は、鎌倉時代末期から大正時代に至る福原家伝来の文書群で、その内容は藩政・家政・知行地支配関係等多岐にわたり、現在1381件の資料を資料館で保管しています。 | 市指定文化財 | 古文書 | 2003-04-16 | 財団法人渡辺翁記念文化協会 | 山口県宇部市大字船木361-6 宇部市学びの森くすのき | 鎌倉時代末期~江戸時代末期 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000259_1_t2.jpg | ||
260 | 慶長国絵図控図周防国・長門国 | 34.022468 | 131.240834 | 長門国図(縦171cm、横264cm)及び周防国図(縦167cm、横315cm)。国絵図は江戸幕府が国内情勢の把握のため、各国大名に作らせた国単位の大型彩色絵図で、慶長の他に正保・元禄・天保時代にも実施されました。毛利藩での担当者は家老の福原広俊で、この2枚は1605年(慶長10年)頃に作製、幕府に提出された正図の控図です。既に国内に正図はなく、絵図の裏書きから、現存する9カ国の慶長国絵図の中で正当な控図と確認できる唯一のものです。郡境は紫、道は赤、河川が青で表わされ、萩城など4つの城や、郡高や郡名、村高や郷村名なども表示されています。また白は砂浜を表しています。現存最古の防長全域を表す地図として、また江戸時代初期の交通、経済、地勢が一覧できるものとして極めて貴重な歴史地理資料です。なお、宇部地域を見ると、干拓前の市街地付近や厚南地域の地形がよくわかります。 | 国指定文化財 | 歴史資料 | 1989-06-12 | 宇部市 | 山口県宇部市朝日町8-1 | 1605年(慶長10年)頃 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000260_1_t2.jpg | ||
261 | 沖ノ山出土の中国古銭及び埋納甕 | 34.04488 | 131.223552 | 1760年(宝暦10年)に書かれた掘出覚によると、これらは、1740年(元文5年)に沖ノ山松浜の砂中から発見された銅銭のつまった壺で、当時の領主福原元貞公に献上されたと伝えられるものです。甕は弥生時代中期後半(紀元前1~1世紀)の朝鮮系の土器で、その中に納められていた銭は、半両銭17枚と五銖銭78枚です。銭は中国の前漢時代のものと思われますが、このように当時代の銭が多量に出土した例は国内にはありません。西暦1世紀前半から中期にかけて、朝鮮半島から北部九州を経由してもたらされたと考えられ、古代中国大陸・朝鮮半島・日本列島にまたがる文化の交流を示す貴重な資料です。 | 県指定文化財 | 考古資料 | 1985-10-29 | 財団法人渡辺翁記念文化協会 | 山口県宇部市大字船木361-6 宇部市学びの森くすのき | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000261_1_t2.jpg | |||
262 | 松崎古墳出土品 | 34.04488 | 131.223587 | 厚東川河口を望む藤山松崎の標高30mの丘陵上に築かれた円墳で、古墳時代中期(4世紀後半)のものと思われます。古墳の直径は約27mと推定され、内部には大型の組合式箱式石棺がありました。石棺は厚さ約20cmの花こう岩で構成され、長さ約3m、幅約1mで、内側は赤く塗られていました。出土品には、日本製の青銅鏡(三角縁神獣鏡1、内行花文鏡1、四獣鏡1)、装身具(勾玉9、碧玉製管玉14)、農工具(鉄斧、鉄鎌、鉄鍬先)、武器類(鉄剣1、鉄刀3、鉄鏃)などです。特に、三角縁神獣鏡の副葬から、埋葬者が畿内の大和政権と深いつながりがあったことが伺われます。また装身具の琥珀製勾玉は県内でも珍しい大型の逸品です。これらの出土品は、剣・玉・鏡という古墳の副葬品のセットとして資料的な価値があります。なお、石棺は附設資料館横に移設されています。 | 県指定文化財 | 考古資料 | 1986-10-24 | 宇部市 | 山口県宇部市大字船木361-6 宇部市学びの森くすのき | 古墳時代中期 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000262_1_t2.jpg | ||
263 | 川上大辻出土石塔婆 | 34.04488 | 131.223622 | 板碑は板状の供養塔で、頭部を山形にし、正面には仏・菩薩の像、梵字、願文などを刻みます。この石塔婆は、総高56.8cm、最大幅24.3cm、最大厚8.6cm。滑石製で、自然石をわずかに加工して板碑状とし、正面上部に梵字(阿弥陀三尊など)を、その下に銘文を彫り込んでいます。□奉造立率都婆六千本 中臺者為藤原國守尊霊 文應二年辛酉二月彼岸 沙弥尼阿弥陀佛尊霊滅罪 生善往生極楽□大菩提故也 □□ 敬白 銘文から1261年(文応2年)藤原国守と僧尼阿弥陀仏の菩提を弔い、極楽往生を願って、6千本の卒塔婆とともに造立されたことがわかります。鎌倉時代中期の板碑として全国的にみても古く、貴重な資料です。 | 市指定文化財 | 歴史資料 | 1990-03-01 | 宇部市 | 山口県宇部市大字船木361-6 宇部市学びの森くすのき | 鎌倉時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000263_1_t2.jpg | ||
264 | 北迫遺跡出土長頸壺形土器 | 34.0449 | 131.223567 | 器高18.9cm、胴部最大径19.9cm。平底で強く張った胴部に細長い頸がついています。全体によく研磨され、その上から赤色顔料で彩色されています。山口県西部における北部九州土器文化圏の標式的な土器として貴重です。北迫遺跡は弥生時代中期後半(1世紀頃)の貝塚を伴った住居跡と終末期の住居跡からなる高地性集落です。この土器は貝塚から出土した唯一の完形品で、遺跡を代表する逸品です。 | 市指定文化財 | 考古資料 | 1995-03-28 | 宇部市 | 山口県宇部市大字船木361-6 宇部市学びの森くすのき | 弥生時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000264_1_t2.jpg | ||
265 | 波雁ケ浜遺跡出土品 | 34.0449 | 131.223607 | 波雁ケ浜遺跡は古墳時代から奈良時代にかけて営まれた製塩遺跡で、製塩土器が多量に出土しました。製塩土器は美濃が浜式土器と呼ばれ、短い棒状の脚部の上に碗形の容器がつくワイングラスのような形をしています。製塩の方法は、土器の中に濃い海水を入れ砂に突き立て、煮沸して結晶塩を取り出していました。時代の経過とともに脚部が短く太いものから細長いものへと変化していきました。なお、同時に、滑石製馬形模造品、土製勾玉、スプーン形土製品やミニチュア土器などの祭祀遺物が出土し、製塩する時に祀りが行われたことがわかります。 | 市指定文化財 | 考古資料 | 1995-03-28 | 宇部市 | 山口県宇部市大字船木361-6 宇部市学びの森くすのき | 古墳~奈良時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000265_1_t2.jpg | ||
266 | 芦河内薬師堂 | 34.091451 | 131.27259 | 茅葺きの寄棟造りで、正面3面は吹放し。県内のお堂の中で最も古式で優れた景観をもっています。堂内には、阿弥陀如来・薬師如来と十三の仏像が安置されています。戦前までは前庭で雨乞いや虫除け行事、念仏踊りが奉納され、その道具一式も保存されています。他にも旅人への接待や地域の人たちのつきあいの場としても利用されていました。 | 県指定文化財 | 有形民俗文化財 | 1987-10-27 | 宇部市 | 山口県宇部市大字芦河内775番地 | 室町時代 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000266_1_t2.jpg | ||
267 | 岩戸神楽舞 | 34.115871 | 131.222601 | 二ツ道祖の東方にある御伊勢山の皇大神宮へ奉納する5調子の神楽舞で、太鼓・笛・鉦のはやしに合わせて、毎年12月5日の夜に奉納されます。鉾の舞、榊の舞等10種類の舞があり、衣裳が素朴で採物(とりもの 神事などで手にもつ道具)が多いことが特徴です。今から約200年前に長谷川庄兵衛により創始されたとされています。 | 県指定文化財 | 無形民俗文化財 | 1976-03-16 | 岩戸神楽舞保存顕彰会 | 山口県宇部市万倉二ッ道祖 | 江戸中期 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000267_1_t2.jpg | ||
268 | 岡田屋百手神事 | 33.977731 | 131.196726 | 伝承によると、1468年(応仁2年)岡田屋で疫病が大流行し多くの死者が出たので、村に祀られる松江八幡・八大龍王・大歳大明神に悪鬼退散の祈願をし、鬼に見立てた的に矢を射たところ疫病が治まったといいます。以来、感謝と厄除け・五穀豊穣を祈り、毎年3月第4日曜日に的射の神事が奉納されています。命中した矢の数で、作柄の吉凶などが予測され、的場で厄除け祈願された小的は、魔除け・五穀豊穣のお守りとして各家に持ち帰る習わしがあります。 | 市指定文化財 | 無形民俗文化財 | 1972-04-14 | 岡田屋百手祭保存会 | 山口県宇部市厚南岡田屋 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000268_1_t2.jpg | |||
269 | 居能盆踊り | 33.966924 | 131.229424 | 居能盆踊りは、江戸時代後期に居能地域に流行した疫病を治めるために、下関の伊崎から習い伝えられた踊りを三嶋神社に奉納したものと言われています。全国各地で踊られている盆踊りの多くは、お祭りの要素が強い踊りですが、居能盆踊りには古くから伝えられてきた踊りの型や、昔ながらの口説(くどき)が残っており、無形民俗文化財として大変貴重なものです。現在では、毎年8月15日、16日の両日、三嶋神社で地域の人々により奉納されています。 | 市指定文化財 | 無形民俗文化財 | 2004-04-22 | 三嶋神社氏子地区運営会 | 山口県宇部市居能町二丁目 三嶋神社 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000269_1_t2.jpg | |||
270 | 丸尾十七夜管弦祭 | 33.971296 | 131.352811 | 丸尾十七夜管弦祭は、旧暦6月17日に行われてきた祭りで、日没前に恵比須社の前で自治会や漁協役員が神事を行い、満潮に近い頃に合わせて管弦船で丸尾港内を巡航するものです。管弦船は、全長約14mの「おかげん船(ぶね)」と呼ばれる漁船(「大漕ぎ」ともいう。)で、約250の提灯を取り付けています。船首、船尾からは6~7mの棒を差し出し赤と青を交互に、左舷には赤、右舷には青の提灯を取り付けます。この提灯は「朝顔」と呼ばれています。また、高さ7~8mの帆柱を立てて、それに交差して大提灯をとりつけた竹竿を4~5段ほど組み上げます。そして、管弦船に横笛や太鼓を演奏する者が乗り、「しゃぎり」と呼ばれる管弦楽を演奏します。現在では、旧暦6月17日に近い土曜日に開催しています。 | 市指定文化財 | 無形民俗文化財 | 2006-08-17 | 丸尾十七夜管弦祭保存会 | 山口県宇部市大字東岐波丸尾 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000270_1_t2.jpg | |||
271 | 霜降城跡 | 34.016 | 131.257797 | 長門国守護厚東氏の本拠城で、7代武光が、源平合戦頃の1179年(治承3年)に築城したと伝えられる山城です。城のある霜降山は、厚東川の東岸にあり、川をへだてて厚東氏の居館旧跡と対しています。城は南北約660mにわたる4峰上に位置し、南から前城(標高247m)、本城(250m)、後城(240m・235m)と呼ばれています。城の遺構は、前城に長さ50mの空堀、本城には土塁や長さ42mの空堀、後城には階段状の施設が認められます。延文3年(正平13年=1358年)、17代義武のとき大内弘世に攻められ落城しましたが、それ以降使用された形跡は無く、南北朝時代の山城の景観をよく残す貴重な史跡です。 | 県指定文化財 | 史跡 | 1967-07-04 | 宇部市ほか | 山口県宇部市大字吉見、大字末信ほか | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000271_1_t2.jpg | |||
272 | 荒滝山城跡 | 34.153065 | 131.296842 | 東吉部の標高459mの荒滝山山頂を中心に築かれた中世の山城跡です。大内氏長門守護代を務めた内藤隆春の城。頂上の本丸と、東方の平坦部の出丸をつなぐ連郭式の構築で、郭や堀切、竪堀などの遺構が残っています。平成12~16年度に発掘調査が行われて中世の皿などが発見されました。 | 県指定文化財 | 史跡 | 2008-01-11 | 宇部市 | 山口県宇部市東吉部 | 天文年間(1532~1555) | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000272_1_t2.jpg | ||
273 | 厚東氏墓所(東隆寺) | 34.023347 | 131.240063 | 本堂裏山中腹の墓地の一画に位置しています。東隆寺由緒書には、「一、開基厚東武実公之墓 境内有之 但五輪之墓・・・申候」と記されています。被葬者の名前や各墓石との関係は不明ですが、五輪塔と宝篋院塔は南北朝時代の特色を留める優れたものです。 | 市指定文化財 | 史跡 | 1972-04-14 | 東隆寺 | 山口県宇部市厚東棚井 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000273_1_t2.jpg | |||
274 | 厚東氏墓所(浄名寺) | 34.020122 | 131.241372 | 浄名寺本堂裏の墓地の奥まった所に5基あり、そのうち2基の五輪塔は形が良く整い優れています。浄名寺由緒書には、「古墓 但境内ニ五輪石塔四組のつら石塔十組有之 孰も厚東家之御石塔之由申伝候 年号月日法名 円無之候事」と記されています。 | 市指定文化財 | 史跡 | 1972-04-14 | 浄名寺 | 山口県宇部市厚東棚井 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000274_1_t2.jpg | |||
275 | 北迫遺跡 | 33.986054 | 131.274917 | 標高約80mの丘陵頂上に営まれた、貝塚を伴った高地性集落跡です。住居跡は円形竪穴式住居(弥生時代中期後半~後期初頭=1世紀頃)が中心で、方形住居(後期末=3世紀頃)とあわせて12軒が確認できました。また丘陵南西斜面に作られた貝塚は、長さ約18m、幅約8m、厚さ約1mと県内では最大規模です。出土した土器から貝塚は中期後半の時期に相当し、円形住居に住んでいた人々により作られたものと分かりました。貝類にはハイガイ、マガキ、ハマグリやヤマトシジミが多く、カワニナ、ヒメタニシなどの淡水性の巻貝もあり、貴重な蛋白源として食生活を補っていたものと考えられます。なお、当時は丘陵の麓まで海水が入り込んでいたと思われます。貝塚からは石鏃などの狩猟具や釣り針などの漁労具は出土しませんでしたが、住居跡から石包丁や炭化米が出土しており、生活基盤が畑作中心の農耕であったことを示しています。 | 市指定文化財 | 史跡 | 1973-05-28 | 宇部市 | 山口県宇部市大字川上 | 弥生時代(1世紀~3世紀) | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000275_1_t2.jpg | ||
276 | 聖山経塚笠塔婆 | 33.984801 | 131.320675 | 聖山の山中に一辺4m、高さ約70cmの積石塚があり、その中央部に笠塔婆が建てられています。笠塔婆は安山岩製で、総高85.5cm。角柱の塔身に笠がのる形で、笠の軒部分の両端が心持ち厚く多少反り気味であるところに南北朝期の特徴が見られます。塔身の各面には凡字が、また一面に銘文が刻まれています。銘文から1341年(暦応4年)に僧浄心を供養するために造立されたことがわかります。市内で唯一の笠塔婆で、紀年のある笠塔婆としては県内第2位の古さで貴重な資料です。付近には王子権現社跡や経塚が点在しており、王子地区は中世において信仰の中心地であったと思われます。 | 市指定文化財 | 史跡 | 1990-03-01 | 個人 | 山口県宇部市東岐波王子 | 1341年(暦応4年) | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000276_1_t2.jpg | ||
277 | 千林尼棚井山田石畳道 | 34.02578 | 131.2338 | 元禄年間に毛利藩勘場(今の役所)が設置されていた船木と、厚東や宇部方面を結ぶ主要幹線で、勘場に集荷された米などの農作物を棚井の厚東川船着き場へ運送する流通経路でもありました。峠越えの険しい山道で、人馬の往来が困難であったため、これを見かねた千林尼が自ら托鉢して浄財を集め、慶応年間(1866年前後)に、難所を選んで石を敷き詰め、現代の舗装道路ともいえる石畳道を作りました。現在棚井と船木山田間4キロmに5カ所約200mに石畳が残っています。道筋には、「お駒堤」や清らかな水が湧く「醴泉」があり、船木との境の峠付近には「道祖神」が祀られています。千林尼は西岐波大沢の生まれで、二十歳前後で仏門に入り、1840年(天保11年)頃常盤湖のほとりに庵を構え、1857年(安政4年)には船木逢坂の瑞松庵末寺観音堂の堂主となり、1869年(明治2年)60歳で亡くなりました。他にも逢坂有帆間の指月道に石畳を敷き、厚狭や宇部で木橋を架けるなど民衆の利便をはかりました。 | 市指定文化財 | 史跡 | 1991-04-01 | 1994-04-18 | 宇部市ほか | 山口県宇部市厚東棚井~船木 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000277_1_t2.jpg | ||
278 | 宗方古墳 | 34.051273 | 131.232913 | 横穴式石室を持つ古墳で、古墳時代の6世紀頃に造られたと思われます。径は7m、高さ2mですが、古墳やその周りは削りとられているため原型は不明です。玄室の内部は崩壊が激しく、蓋石も紛失している。 | 市指定文化財 | 史跡 | 1991-04-01 | 宇部市他 | 山口県宇部市大字東万倉 | 古墳時代後期 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000278_1_t2.jpg | ||
279 | 信田ノ丸城跡 | 34.126623 | 131.246359 | 万倉城南地区の標高341mの山頂にある中世の山城跡です。大内氏の重臣杉伯耆守重良の居城で、郭や堀切、出丸などの遺構が残っています。山頂には明治41年(1908)に杉氏の子孫が建立した石碑が建てられています。 | 市指定文化財 | 史跡 | 1994-04-01 | 宇部市他 | 山口県宇部市大字万倉 | 1570年ころ(元亀年中) | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000279_1_t2.jpg | ||
280 | 国司家墓所及び墓碑 | 34.079158 | 131.244172 | 毛利氏の重臣国司家は、1625年(寛永2年)、就正(なりまさ)のとき、周防徳地から万倉に移封されましたが、正楽寺の荒廃した寺跡に菩提寺を建て宗吽寺としました。池の上方に墓所があります。国司親相(ちかすけ)は、蛤御門の変(1864年)の責任をとり福原越後ら二人の家老とともに自刃し、遺言により万倉に葬られました。 | 市指定文化財 | 史跡 | 2001-07-01 | 個人 | 山口県宇部市大字奥万倉字黒杭1824 | 1625年(寛永2年) | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000280_1_t2.jpg | ||
320 | 宗隣寺庭園 | 33.966063 | 131.252696 | 庭園は本堂の北側(背後)にあり、築山と池を組み合わせた庭で、竜心庭(りゅうしんてい)と呼ばれています。南向きの丘陵上部に中心石を立て、その下に池に落ちるように枯滝を組んでいます。池の中には夜泊石(よどまりいし)と呼ばれる八個の中型立石を二列に配置して、全体として均整をとり、立体感を添えています。特に小石を敷いて浅瀬を造り、池の水位により干潟が見え隠れするという、潮の干満を表現している「干潟様」は、平安時代からの作庭技術で、時間と空間の美を創り出した作庭上の理想とされています。現存するものでは岩手県平泉の毛越寺と宗隣寺のみといわれ、庭園史上貴重な遺構です。池の地割りが、南北朝時代の作と伝えられる京都の知恩院や南禅寺の庭園と似ていることから、この庭園の原型が造られたのも南北朝時代頃と考えられます。宗隣寺は、毛利藩家老で宇部領主の福原広俊が、1670年(寛文10年)、父元俊の菩提を弔うため、当時荒廃していた普済寺(ふさいじ)の地に建立したもので、庭も普済寺の池庭を改修整備したものと思われ、県内最古の庭園と考えられます。 | 国指定文化財 | 名勝 | 1983-02-07 | 宗隣寺 | 山口県宇部市大字小串210 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000320_1_t2.jpg | |||
321 | 常盤公園 | 33.946752 | 131.283215 | 常盤公園は、1698年(元禄11年)に萩藩の家老で宇部領主であった福原氏の新田開発に伴って造成された常盤湖を中心に構成されています。常盤湖完成後、周辺部に貯水機能の確保のためにマツが植えられたり、1920年(大正9年)には湖岸の別荘地にサクラが植樹されるなど、自然風景を活かした景勝地として知られるようになり、現在でも広く市民に親しまれています。1924年(大正13年)からは地元の実業家であった渡辺祐策らにより常盤湖周辺の土地購入活動が進められ、宇部市に寄贈されたことにより、宇部市は1925年(大正14年)に常盤公園を開設、1935年(昭和10年)には、ほぼ現在の広さとなっていました。 | (国)登録記念物 | 名勝 | 2008-07-28 | 宇部市 | 山口県宇部市大字沖宇部 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000321_1_t2.jpg | |||
322 | 吉部の大岩郷 | 34.12096 | 131.263738 | 「岩郷」とは岩海の方言で、無数の巨岩が重なりあっていることをいいます。約3ヘクタールにわたって大きさが0.5m~4mの巨岩が無秩序に重なっています。石質は、石英閃緑岩。岩の間には様々なシダ類やコケ類が生育しています。 | 国指定文化財 | 天然記念物 | 1935-12-24 | 宇部市 | 山口県宇部市大字東吉部大棚 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000322_1_t2.jpg | |||
323 | 熊野神社のツルマンリョウ自生地 | 34.057353 | 131.317848 | ツルマンリョウはヤブコウジ科の常緑蔓性小低木で、濃緑色の葉をもち、秋には赤い実をつけます。社殿周囲の社叢内に数カ所に群れて自生していますが、生育条件が特殊なため(一定時間のみ陽光を受けることや土壌が花こう岩系であることなど)、自生しにくく、徳地町出雲神社や奈良県、屋久島などでしか自生は確認されず、隔離分布する例として非常に貴重な植物です。熊野神社は「風土注進案」によると山中市を開いた伊豆国の浪人伊藤彦四郎入道が、大内広世の許可を得て、応永元年(1394年)熊野権現を勧請したことに始まる古社で、旧山陽道沿いにあります。 | 県指定文化財 | 天然記念物 | 1996-06-10 | 熊野神社 | 山口県宇部市二俣瀬上山中 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000323_1_t2.jpg | |||
325 | 松江八幡宮社叢 | 33.98484 | 131.200384 | ミミズバイやスダジイが群集する社叢で、市内における重要な植物社会組成を示す地域です。社叢内全域にミミズバイが自生しており、市内唯一の自生地となっています。その他、大陸要素を示すアベマキ、海浜要素を示すトベラの巨樹などがあり、植物分布の上から市内の原植生を推定できるものとして貴重です。ミミズバイは、ハイノキ科の小高木で、葉は長楕円形で厚く表面は光沢があります。暖地で海岸付近にのみ自生が限定される植物です。松江八幡宮は神功皇后が三韓征伐の時に用いた祭幣を祀ったのが起源で、のちに厚東武仁(6代)が社殿を再興し、宝亀年間(770~780年)に新たに宇佐八幡宮を勧請したと伝えられます。 | 市指定文化財 | 天然記念物 | 1979-04-04 | 松江八幡宮 | 山口県宇部市厚南黒石 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000325_1_t2.jpg | |||
327 | 水分社のスダジイ | 33.995373 | 131.232818 | スダジイはブナ科の常緑高木で、中部地方以南の暖地に見られ、実が球形、卵形のものをコジイ、長楕円形で葉が厚いものをスダジイと呼んでいます。本樹は樹高17m、幹周囲7.1mで、枝張りは13m四方に及んでいます。地上2m地点で二つの大きな幹に分かれていましたが、平成3年9月の台風で支幹1本が根元から倒れました。市内では最大、県内でも有数の巨樹です。樹齢は不明ですが、シイは古くから各地に自生しており、このスダジイもその残存樹の1つと思われます。瀬戸内地方の原自然植生の一部を示す貴重な資料です。水分社は、厚東末信の正八幡宮の末社にあたります。 | 市指定文化財 | 天然記念物 | 1980-03-31 | 水分社 | 山口県宇部市厚南沖ノ旦 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000327_1_t2.jpg | |||
328 | 本覚寺のモッコク | 33.981123 | 131.304758 | 本覚寺の旧境内には雪舟作と伝えられる築山枯山水庭園(江戸時代前期)が残っていますが、本樹はその一画にあります。モッコクはツバキ科の常緑高木で、暖地の海岸に自生し、時に7mにも成長するといわれていますが、本樹は樹高11m、目の高さの幹周囲は2.7m、枝張りは13mに及んでいます。樹勢は旺盛で、特に形が美しく堂々たる姿をしたモッコクです。寺伝では樹齢500年といわれ、市内では最大、県内でも有数の巨樹です。 | 市指定文化財 | 天然記念物 | 1980-03-31 | 本覚寺 | 山口県宇部市西岐波上片倉 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000328_1_t2.jpg | |||
330 | 平原八幡宮のイスノキ | 34.007501 | 131.217384 | 社殿背後の社叢の中にあって、タブノキ、クロガネモチの巨樹とともに自生しています。樹高13.1m、目の高さの幹周囲は1.9mで、樹勢は旺盛です。イスノキはマンサク科の常緑高木で、伊豆半島以西から九州に分布しています。平原八幡宮は、縁起によれば985年(寛和元年)、平原に現れた霊石を八幡神と崇め、岡の原に社殿を造営したのが始まりという古社で、現在地には1815年(文化12年)に遷りました。厚南北部際波地区の鎮守です。 | 市指定文化財 | 天然記念物 | 1982-03-31 | 平原八幡宮 | 山口県宇部市厚南際波 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000330_1_t2.jpg | |||
331 | 藤河内のモミノキ | 34.079508 | 131.321337 | 樹高20.6m、根回り7.2m、目の高さの幹周囲は3.95m、枝張りは7~10mです。地上6m付近で3つに枝分かれし、それぞれまっすぐ上に伸びています。もう1本は、樹高17.6m、幹周囲2.5mです。市内の巨樹巨木の中でも最大級で、樹形は整い、樹勢は旺盛です。現在の当主から5代前が楠町から移し植えたものと伝えられ、樹齢は約200年と思われます。 | 市指定文化財 | 天然記念物 | 1985-03-30 | 個人 | 山口県宇部市小野藤河内 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000331_1_t2.jpg | |||
332 | 杉河内のナツツバキ | 34.04809 | 131.303204 | ナツツバキは、比較的寒冷な地域の落葉広葉樹林の中に自生する落葉高木で、夏に直径5cmほどの美しい白い花をつけます。県内では佐波郡徳地町滑、周南市上清涼寺、玖珂郡錦町寂地山などに自生していますが、市内では二俣瀬地区にしか自生していません。今回指定されたナツツバキは、二俣瀬杉河内に自生する樹木で、高さが約10m、枝張りが約8m、樹齢は約100年と思われます。市内はもとより県内でも最大級の大きさで、植物分布上、また地域を代表する樹木として大変貴重なものです。 | 市指定文化財 | 天然記念物 | 2004-04-22 | 山口県宇部市二俣瀬杉河内 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000332_1_t2.jpg | ||||
333 | 岡崎八幡宮のクスノキ | 34.044715 | 131.22728 | 岡崎八幡宮は、船木地区の鎮守で、船木地区が一望できるように西に向かって建てられています。境内のクスノキは、高さは約20m、幹周囲は4.4mで樹齢は約700年から800年と推定されます。岡崎八幡宮は、古くから鎮守の鎮守の神として崇拝されてきた、船木全域の産土神。社前の社前のクスノキの巨木に寄生するシーボルト・コギセルという巻貝は、潮の干満につれて幹を上下すると言われ、海上安全のお守りとして珍重されました。 | 市指定文化財 | 天然記念物 | 1994-04-01 | 個人 | 山口県宇部市大字船木395 | 推定樹齢約700~800年 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000333_1_t2.jpg | ||
334 | 教善寺のサザンカ | 34.076653 | 131.235627 | 万倉浅地の教善寺境内に植えられているサザンカです。寺伝では、万倉の領主であった杉伯耆守重良の重臣、本田左京大夫良政が九州で戦った際に持ち帰った種をこの地に蒔いたといわれています。高さは、約13m、幹周囲は約2.3mで白色の花をつけます。 | 県指定文化財 | 天然記念物 | 1994-04-01 | 個人 | 山口県宇部市大字西万倉1243 | 推定樹齢約450年 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-000334_1_t2.jpg | ||
1770 | 長谷経塚出土陶製経筒 | 34.044915 | 131.223587 | 経筒とは、経塚に経典を納める際に使用する容器のことです。本経筒は、1959年(昭和34年)に宇部市大字西岐波字長谷に立地する長谷経塚から出土しました。器高42.0cm、胴部最大径12.5cm。陶製の有蓋黄緑釉長胴壷で、筒身にしっかりとした高台をもち、宝塔を載せた被りの深い蓋を有しています。これらの特徴は、九州に多く分布する陶製経筒にみられるものです。製作地は中国浙江省地域の越州窯で、中国をはじめとする外国の地で類例が発見されていないことから、九州側から経筒用として特注され、当時の宋商船が北部九州にもたらしたものと考えられています。宇部市域における数少ない経塚の出土品であり、輸入陶磁器の流通や平安末期における宇部市域と北部九州との交流の状況を知る上で重要な資料です。 | 市指定文化財 | 考古資料 | 2009-05-20 | 宇部市 | 山口県宇部市大字船木361-6 宇部市学びの森くすのき | 平安時代末期 | http://www.city.ube.yamaguchi.jp/script/archives/thumb_img/05-001770_1_t2.jpg | ||
9001 | 木造阿弥陀如来立像 | 33.963053 | 131.268052 | 像高58.3cm、桧材の一木造り。高く盛り上がる肉髻(頭頂部)や腹部から両股にかけての流れるような衣紋は古風ですが、やや厳しさのある顔つきなどに鎌倉時代の特色が見られます。小像ですが、引き締まった彫法は力強く、優れた作品です。 | 市指定文化財 | 彫刻 | 1999-04-09 | 教念寺 | 山口県宇部市寺の前町 | 鎌倉時代 | |||
9002 | 浄念寺梵鐘 | 34.017207 | 131.240753 | 厚東の浄念寺に伝わる本鐘は、江戸時代の1647年(正保2年)に長府鋳物師安尾正之によって作られたものです。高さ105.8cmの鋳銅製で、当時の浄念寺に関連のあった16の寺院の名が刻まれています。 | 市指定文化財 | 工芸品 | 2013-05-23 | 浄念寺 | 山口県宇部市厚東棚井 | 江戸時代 | |||
9003 | 教念寺境内樹林 | 33.963379 | 131.267236 | 境内周囲の「教念寺境内樹林」は、クロガネモチ・タブノキの巨樹からなる典型的な暖帯林で、原生林の様相がよく残っています。本堂裏にあったナナミノキは、国内最大級の巨樹でしたが、台風により倒壊して現存していません。 | 市指定文化財 | 天然記念物 | 1979-04-04 | 教念寺 | 山口県宇部市寺の前町 | ||||
9004 | 棚井のヤマグワ | 34.013508 | 131.236838 | 樹高7.6m、枝張り4~5m。江戸時代後期ころからの木だと言われています。付近の農家では養蚕業が盛んで、桑が各地に植えられており、その内の一本であると言われています。 | 市指定文化財 | 天然記念物 | 1980-03-31 | 個人 | 山口県宇部市厚東棚井 | 江戸時代後期 | |||
9005 | 東岐波中学校のソテツ | 33.977918 | 131.337465 | このソテツの樹は大型の雌株のソテツで、樹高6.2m、目通り幹囲は1.7m、株数は一株であるが、中央の主幹から四本の枝幹が分枝している。樹齢は約650年と推定されており、国内の他地域の指定文化財のソテツと比較してみても大きさ、樹齢ともに屈指のソテツである。本樹は、江戸時代に東岐波村の庄屋であった部坂家(へさかけ)の旧宅であった「東明堂」に生えていたものを昭和31年(1956年)に当時の部坂家の当主より寄贈され、現在の場所に移植されたものです。 | 市指定文化財 | 天然記念物 | 2014-05-21 | 東岐波中学校 | 山口県宇部市大字東岐波 | 江戸時代 |