フィールド
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よみがな
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分野
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時代
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地区
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碑
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生没年
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Assertion
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Assertion
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Assertion
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Assertion
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Assertion
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Assertion
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Assertion
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Assertion
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Assertion
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Assertion
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1
|
県議会史
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杉原 為治郎
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すぎはら ためじろう
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片上
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別所町
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初代片上村長
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1851~1922
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2
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県議会史
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市橋 勘左エ門
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いちはし じんざえもん
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河和田
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東清水町
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山岸泉から市橋勘左エ門の養子となる。農業のかたわら機業を営み、次第に主となる。杉の植林を奨励、林道の開設に尽力、峰越林道の開発は村民から感謝された。昭和21年河和田村長。県議会議員。議員在任中の福井大震災と昭和28年9月の台風13号による若狭地方の災害対策に尽力。上河内清根線、鞍谷川の改修に尽力。
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1895~1971
|
3
|
鯖江郷土史
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真保 由斎
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しんぼ ゆうさい
|
彫刻工芸
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近代
|
河和田
|
河和田町
|
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本名由太郎。明治45年今立郡小坂村沈金徒弟養成所に入所。輪島出身の和田其水先生に沈金を、平野次良太先生に図案を、日本画を桑野長松先生に師事して修行、大正3年独立し、東京美術学校教授帝室芸員六角紫水先生、芸術院会員山崎覚太郎先生らと連繋を保ちつつ技を習得。 学童時代から絵画に天才的な才能を発揮し、日々の努力と気性の激しさで修行の段階から頭角を現し、21歳で独立した後は商工省工芸展覧会やベルギー万博、シカゴ万博など各種展覧会に出品し数々の賞を受賞。太い彫り跡で堅い漆器に堅い鑿を使う太彫りや片彫りで、「由斎彫り
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1899~1976
明治32年~昭和51年
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4
|
誌村ふるさと北中山
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金粕 五右衛門
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かねかす ごえもん
|
数学
|
近世
|
北中山
|
磯部町
|
○
|
習字、植物、動物、生理を勉学し、教職に就く
|
|
5
|
誌村ふるさと北中山
|
境口 永信
|
さかいぐち ながのぶ
|
数学
|
|
北中山
|
磯部町
|
○
|
和算家、金粕 五右衛門の第1門人
|
|
6
|
誌村ふるさと北中山
「鯖江の先人展」
|
田中 孫兵衛
|
たなか まごべえ
|
画家
|
近代
|
北中山
|
磯部町
|
|
号は南翠。画家であったが、毎年の水災を受け、大工事を完成、治水に尽力する。
|
1847~1921
|
7
|
誌村ふるさと北中山
|
田中 南翠
|
たなか なんすい
|
画家
|
近代
|
北中山
|
磯部町
|
|
日本画、第5代北中山村長
|
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8
|
誌村ふるさと北中山
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石黒 蘭芳
|
いしぐろ らんぽう
|
華道
|
近代
|
北中山
|
落井町
|
○
|
明治27年落井町の農家に生まれる。大正9年池坊家元の門に入り、中山庵青翠に学ぶ。後、池坊総華督兼考査員となる。
|
|
9
|
県議会史
|
小谷 重右衛門
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おだに じゅううえもん
|
|
|
北中山
|
落井町
|
|
幼名駒吉。北中山村長通算15年。県議会議員12年。村役場助役時に北中山村の落井(中山)、赤坂(化致)、中戸口(柔順)、川島(南越)の4小学校を1校に統合することに尽力。鞍谷川の川島・新堂一帯の改修に尽力。
|
1878~1941
|
10
|
誌村ふるさと北中山
|
青木 豊市
|
あおき とよいち
|
教育
|
近代
|
北中山
|
川島町
|
○
|
漢学、四書、五経、十八史略、近古史談等に通じる。
|
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11
|
誌村ふるさと北中山
|
中山庵 青翠
|
ちゅうざんあんせいすい
|
華道
|
近代
|
北中山
|
川島町
|
○
|
中野の斎藤雲錦師について池の坊に入門。
|
|
12
|
誌村ふるさと北中山
|
揚原 新十郎
|
あげはら しんじゅうろう
|
実業家・政治
|
近代
|
北中山
|
戸口町
|
|
昭和9年絹織物製造業を創業。24年にベルベットの生産を始める。昭和34年に県議会議員に当選し2期。県議会議長時に北陸自動車道の湖西、湖東コースの紛糾を解決。戸口トンネルの開通に尽力。
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1912~
|
13
|
誌村ふるさと北中山
|
竹齢園 露二
|
ちくれいえん つゆじ
|
歌道
|
近代
|
北中山
|
戸口町
|
○
|
本名、八田武助。文化5年下戸口生まれ。多忙な家業に追われながらも、歌道に精進にした。乗誓寺境内に碑あり。
|
1808~
|
14
|
誌村ふるさと北中山
|
植村(上村) 善四郎
|
うえむら ぜんしろう
|
教育者
|
近代
|
北中山
|
中戸口町
|
|
(善右衛門)、教員後村長就任、県会議員に2期当選。九頭竜川の改修工事等に尽力。
|
1868~1932
|
15
|
誌村ふるさと北中山
|
今立 吐酔
|
いまだて とすい
|
|
近代
|
北中山
|
松成町
|
○
|
松成村満願寺第14世乗永の末子。福井の明新館に入学、米国人教師グリフィスと出会う。明治7年グリフィス帰国の際、渡米しフィラデルフィア大学に留学(20才)。大学で抜群の成績。苦学の末帰国。京都府で日本初の中学校校長となる。後に外交官。昭和6年歿、76歳。
|
本来多罪身 唯称弥陀仏 成仏吾不関 任乗弘誓筏
|
16
|
誌村ふるさと北中山
|
青木 市五郎
|
あおき いちごろう
|
算数・棒術
|
近代
|
北中山
|
|
|
天保8年、川島生まれ。9歳の頃から橋立村の医師品川道哲に算数、棒術を学ぶ。和算家。
|
1837~
|
17
|
誌村ふるさと北中山
|
中林 与三兵衛
|
なかばやし よそべえ
|
和歌・俳句・狂歌
|
近代
|
北中山
|
|
|
下戸口生まれ。号は涼月。竹齢園露二の第一の門人。多くの人に和歌、短歌、狂歌を教える。
|
|
18
|
誌村ふるさと北中山
|
前田 清左衛門
|
まえだ せいざえもん
|
浄瑠璃
|
|
北中山
|
|
|
天保3年松成生まれ。方々で浄瑠璃や芝居行った。享年65歳。
|
1832~1896
|
19
|
県議会史
|
高木 治作
|
たかぎ じさく
|
実業家
|
|
鯖江
|
池田町小畑
鯖江町東小路
|
|
大正5年飛島組(後の飛島建設)の発起人に。昭和4年ごろ同士と共に鯖浦合同運送㈱を設立し社長に。県会議員。鞍谷川の改修、今立農学校の改築などを意見。
|
1871~1946
|
20
|
鯖江郷土史
|
梅谷 孝永
|
うめたに たかなが
|
仏教家
|
近代
|
鯖江
|
上鯖江町
|
|
文久3年1863生まれ、田中九平の次男。三千院住職梅谷孝成の仏弟子となる。蓮成院住職、比叡山竹林院住職、三千院住職、権大僧正に累進、京都市東山大仏妙法院門跡、延暦寺247代座主。日中親善に努力。
|
1863~1945
|
21
|
鯖江郷土史
|
梅谷 孝成
|
うめたに たかなり
|
仏教家
|
近代
|
鯖江
|
上鯖江町
|
|
弘化2年(1845)舟津村上鯖江生まれ。田中弥右衛門の長男。明治21年元梶井三千院第51代門跡。荒廃した妙法院を復興した。明治34年天台宗総本山延暦寺第240代座主。
|
1845~
|
22
|
県議会史
|
斎藤 與二郎
|
さいとう よじろう
|
資産家
|
|
鯖江
|
上鯖江村
|
|
代々庄屋を務め、所有農地は120町歩。明治23年には直接国税総額804円45銭(当時県第2位)。この頃の米価1石当り14円60銭。県会議員として県政発展に貢献。舟津村の初代村長。孫は多久馬氏
|
1849~1935
|
23
|
県議会史
|
玉木 一馬(一栄)
|
たまき かずま
|
政治家
|
|
鯖江
|
鯖江町東小路
|
|
第1回県議会議員。昭和23年に福井大震災で被害を受けた織物業界再建のため県庁に繊維課新設を知事に進言。国道8号線期性同盟会の会計幹事。
|
1900~
|
24
|
県議会史
|
窪田 彦左衛門
(二代)
|
くぼた
ひこざえもん
|
学者・教育
|
現代
|
鯖江
|
|
|
県会議長彦左衛門の長男。東京農大卒、貝類研究者。戦前、鯖江女子師範で博物学を教え、戦後も引き続き鯖江高校に勤務。県文化財保護専門委員を務める。昭和8に県生物目録作成に取り掛かり、以後貝類調査をライフワークとした。鯖江在住の医師古川田溝の援助により『福井県産貝類目録』840種をまとめた。
|
1896~1967
|
25
|
鯖江郷土史
|
朝倉 了昌
|
あさくら りょうしょう
|
仏教家
|
近代
|
鯖江
|
深江町
|
|
本山誠照寺派法林寺に生まれる。兄は小泉了諦。17歳で「教途策進」を著す。明治12年に足羽郡東郷厳瑞寺の養子に。インドに遊学。真宗大学教授。金沢の長徳寺住職に。(当時加賀一国屈指の大坊)
|
1856~1910
|
26
|
県議会史
|
桑原 甚六
|
くわばら じんろく
|
実業家
|
|
鯖江
|
深江町
|
|
「あめや」呉服店。江戸末期より呉服屋を創業。明治30年の県議会で福井の簡易農学校を鯖江町に移転する建議案を提出。大正3年に今立農学校が設立認可。明治41年越前電気㈱の設立発起人の1人。大正12年設立の鯖江電気鉄道㈱では福島文右衛門氏とともに設立発起人
|
1867~1936
|
28
|
県議会史
|
畑 彦兵衛
|
はた ひこべえ
|
教育
|
|
神明
|
岡野町
|
|
本家と共に酒造業を営む。穴田川用水の紛争解決に尽力。
|
1846~1892
|
29
|
神明郷土誌
|
野尻 新太郎
|
のじり しんたろう
|
教育
|
近代
|
神明
|
定次町
東鳥羽町
|
|
東京高等師範学校、静岡中学校、福井師範学校、福山師範学校などで教鞭。
|
|
30
|
神明郷土誌
|
清水 此吉
|
しみず これきち
|
教育
|
近代
|
神明
|
長泉寺町
|
|
神明小学校(通明、合智の2校が合併)初代校長。
|
|
31
|
県議会史
|
増永 英明
|
ますなが えいめい
|
実業家
|
|
神明
|
鳥羽
|
|
増永家の遠祖は柴田勝家の家臣増永公文だという。人絹平地の機業場を設け不動産業。国道8号の建設促進に尽力。
|
1899~1964
|
32
|
県議会史
|
山本 治
|
やまもと おさむ
|
政治
|
|
神明
|
水落町
|
|
山本雅雄の8男。昭和26年神明町長。30年県議会議員に当選以来5期。37年、41年に議長就任。県営広野ダムの完成に尽力。神明朝日線の道路整備に尽力。金谷トンネルにも尽力。鯖江市長2期。
|
1916~
|
33
|
県議会史
|
清水 九十郎
|
しみず くじゅうろう
|
政治
|
|
神明
|
水落町2丁目
|
|
明治13年から14年まで石川県会議員、14年から17年まで福井県議会議員
|
1832~1899
|
34
|
神明郷土誌
「鯖江の先人展」
|
山本 雅雄
|
やまもと まさお
|
漢学・政治
|
近代
|
神明
|
水落町
|
|
号は六堂。漢学と漢詩を研究。大正15年神明村長。元鯖江市長山本治氏の父。
|
1877~1970
|
35
|
神明郷土誌
|
野尻 弥重郎
|
のじり やじゅうろう
|
教育・政治・実業
|
近代
|
神明
|
定次町
|
|
朝日小学校校長を最後に教職を退き、東鳥羽で養蚕を行い、殖産興業を起こす。神明村長として25年間。合智、通明の2小学校を神明小学校に統合。大正4年に武周電力㈱を設立して専務に。大正12年に福武電鉄㈱を設立して社長に就任し、13年2月に武生-兵営間、14年7月に兵営-福井間が開通。浅水川改修の用地交渉に尽力。大正9年衆議院議員に当選。
|
1868~1947
|
36
|
神明郷土誌
|
瓜生 守也
|
うりゅう もりや
|
漢学
|
近代
|
神明
|
|
|
和漢学
|
|
37
|
神明郷土誌
|
久島 弥左衛門
|
くしま やざえもん
|
医学・儒学
|
近代
|
神明
|
|
|
雪嶺先生、医療のかたわら儒学教育を好む
碑は長久寺境内。
|
|
38
|
神明郷土誌
|
山森 弥久吉
|
やまもり やくきち
|
医学・儒学
|
近代
|
神明
|
|
|
(左近先生)鍼灸術医、雪嶺先生の後を継ぎ儒学を教えた。碑は長久寺境内。
|
|
39
|
神明郷土誌
|
養浩 斉
|
ようこう さい
|
教育者
|
|
神明
|
|
○
|
碑は岡野町妙法寺境内。
|
|
40
|
県議会史
鯖江郷土史
|
三田村 八高
|
みたむら やたか
|
地方自治
|
近世
|
新横江
|
越前市富久町
下新庄町
|
○
|
新横江村初代村長で9年間務める。明治6年18歳で小学校教師、同8年には地租改正のため測量技師となる。同17年には今立郡農事通信委員となる。明治24年県制施行とともに県議会議員に。明治41年㈱商業銀行頭取。商業銀行は後に福井銀行と合併。
|
1854~1928
|
41
|
県議会史
|
三田村 吉継
|
みたむら よしつぐ
|
地方自治
|
|
新横江
|
下新庄町
|
|
明治維新後に戸籍の調査や地租改正などの仕事にあたった。明治20年県会議員。県会議員後は新横江村発展に三田村八高と共に尽力。新横江村第3代村長に就任。松ケ鼻用水大改修に尽力。
|
1845~1934
|
42
|
県議会史
|
松田 兵左衛門
|
まつだ へいざえもん
|
実業家
|
|
新横江
|
中戸口町
横越町
|
|
松田家は古くからの名望家で農業のほか絹織物業を経営。新横江村長。
|
1875~1945
|
43
|
県議会史
|
岩野 寛
|
いわの ひろし
|
教育
|
|
新横江
|
東鯖江
|
|
新横江、片上、国高の各尋常小学校長を歴任。新横江村長。昭和23年関係村長と協力し、鯖江町、新横江村、舟津村合併を実現。
|
1891~1968
|
44
|
県議会史
|
藤田 惣左衛門
|
ふじた そうざえもん
|
実業家
|
|
新横江
|
横越町
|
|
早くから絹織物に関心を持ち、明治21家督を相続するや家業の製油業から羽二重機業に転業。新横江村長、県議を務めた。敦賀港の施設充実に尽力するなど、産業振興に貢献した。
|
1853~1935
|
45
|
鯖江郷土史
|
八田 清右エ門
|
はった せいうえもん
|
数学
|
近代
|
新横江
|
横越町
|
○
|
上河端辻長兵衛に数学を学び、農業の傍ら門弟を集めて講莚を開いた。明治38年歿、享年70歳。
|
1836~1905
|
46
|
県議会史
|
高島 茂平
|
たかしま もへい
|
教育
|
|
立待
|
足羽郡天王村
石田下町
|
|
東京高等師範学校を卒業し、福井中学校の教諭。県会議員。
|
1867~1945
|
47
|
福井県丹生郡誌
|
青柳 丹青
|
あおやぎ たんせい
|
俳諧
|
近代
|
立待
|
石田上町
|
|
九右衛門、天保13年(1842)生まれ。号を一窓庵丹青とし俳諧で活躍。南越獅子林分社二代目代表。大正元年歿、享年71歳。石田上の西蓮寺に碑あり。
|
1842~1912
|
48
|
県議会史
|
大橋 庄右エ門
|
おおはし しょううえもん
|
政治
|
|
立待
|
石田上町
|
|
立待村長、吉江町にあった小学校を杉本町に移転することに尽力。石田縞増産を図った。明治45年には立待村19戸、朝日村32戸、吉川村25戸、糸生村10戸等となった。武周電力㈱を設立。
|
1859~1921
|
49
|
福井県丹生郡誌
|
高島 善左衛門
|
たかしま ぜんざえもん
|
実業家
|
近代
|
立待
|
石田下町
|
○
|
|
|
50
|
福井県丹生郡誌
|
高島 丹山
|
たかしま たんざん
|
宗教
|
近代
|
立待
|
石田下町
|
|
琴棋を学び詩文書画を好む
|
|
51
|
福井県丹生郡誌
|
高島 眠山
|
たかしま みんざん
|
華道
|
近代
|
立待
|
石田下町
|
|
名は九兵衛、
|
|
52
|
福井県丹生郡誌
|
高島 正臣
|
たかしま まさおみ
|
|
|
立待
|
石田町
|
○
|
字は君牙、通称慎三、蕉堂と号した。
|
|
53
|
福井県丹生郡誌
|
岡井 慎吾
|
おかい しんご
|
教育
|
近代
|
立待
|
石田町
|
|
熊本医大予科教授 九州大文学部講師
昭和6年「玉篇の研究」で文学博士の学位を得る。
|
1872~1945
|
54
|
県議会史
|
佐々木 清六
|
ささき せいろく
|
政治
|
|
立待
|
杉本町
|
|
第12代、第17代立待村長。
|
1872~1945
|
55
|
福井県丹生郡誌
ふるさと散歩道
|
野尻 録衛
|
のじり ろくべい
|
|
近代
|
立待
|
糺町
|
|
弘化元年生まれ。立待村村長。歩兵第三十六連隊設置のため私費で用地を買収し献納した。これに感服した市民の土地献納や労力奉仕により、連隊用地が確保、整備された。
|
1844~
|
56
|
県議会史
|
吉川 治左衛門
|
よしかわ じざえもん
|
政治
|
|
立待
|
西番町
|
|
代々村役を務める。第三十六連隊の兵舎建設に協力。
|
1856~1928
|
58
|
県議会史
福井県丹生郡誌
「鯖江の先人展」
|
松谷 弥男(野鷗)
|
まつたに やおう
|
政治
|
|
立待
|
三尾野出作町
|
|
作詞、古銭、酒、釣、養鶏を好む。明治13年石川県議会議員。明治24年福井県議会議員。岡井慎吾は明治16年から数年師事。
|
1835~1914
|
59
|
県議会史
|
加藤 吉平
|
かとう きちべい
|
実業家
|
|
立待
|
吉江町
|
|
酒造業。越前製瓦㈱、北新庄製紙㈱の社長。
|
1871~1939
|
60
|
福井県丹生郡誌
|
北山 由松
|
きたやま よしまつ
|
実業家
|
近代
|
立待
|
吉江町
|
|
藍玉商、醤油の醸造に従事
|
|
61
|
県議会史
|
笠嶋 一榮
|
かさしま かずえ
|
治水
|
|
中河
|
上河端町
|
|
第1回県議会議員。浅水川、文室川改修(中野町出口より上流)に尽力。
|
1902~
|
62
|
県議会史
|
山田 仙之助
|
やまだ せんのすけ
|
実業家
|
|
中河
|
中野町
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家業は菜種油・桐油等の製造販売と石油・肥料の販売。明治37年ころ羽二重の製織が盛んになり、明治38年に機業に転向。43年に力織機を考案して販売。県会議員、貴族院議員。独力で幼稚園を建設し運営費を寄贈。神社仏閣にも寄贈。戦時中に戦闘機「山仙号」を献納。戦後もラジオ放送教育資材を寄贈。
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1876~1949
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63
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県議会史
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伯 治門
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はく じもん
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政治
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中河
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中野町出口
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県議会議員時代に県産婆看護婦養成事業を推進。中野の耕地整理105町歩を造成。大正4年に中河村長に就任し20余年にわたり尽力。
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1871~1938
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64
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県議会史
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山口 孝雅
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やまぐち たかまさ
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政治
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中河
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橋立町
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昔からの水不足を補うため、巨額の私財を投じて浄法寺境内に18間あまりの井戸を掘る。県議時代に浅水川改修を建議した。中河村長だけでなく、請われて神明村長にも就任。
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1861~1910
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65
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福井県丹生郡誌
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藤田 寛
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ふじだ ひろし
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政治・産業
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近代
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豊
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氏家町
佐々生
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明治44年に産業組合を創設。
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66
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福井県丹生郡誌
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熱田 霊知
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あつた れいち
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宗教
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近代
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豊
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上氏家町
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真宗大教校教授、仏教大学教授(安政元年~大正7年)
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豊村誌にもあり
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67
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県議会史
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永田 定右衛門(定視)
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ながた さだうえもん
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政治
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豊
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下氏家町
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父は第1回衆議院議員永田定右衛門。県議会議員中に豊村から鯖江町に通じる県道の路線変更と幅員拡幅を手掛ける。
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1878~1921
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68
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福井県丹生郡誌
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丹尾 頼馬
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にお たのま
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政治
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近代
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豊
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下野田町
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明治30年の貴族院多額納税者議員互選人名簿(県下で15人)に登載。慶応義塾で福沢諭吉に指導を受ける。豊村(岡山村)初代村長。明治31年11月県議会で九頭竜川改修施行を可決、さらに上流まで改修するよう要望し、日野川は湯尾までさかのぼった。衆議院議員当選4回
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1858~1928
豊村誌にもあり
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69
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県議会史
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橋本 孝恵
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はしもと たかえ
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政治
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豊
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下野田町
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昭和9年に細幅織りを始める。18年丹生金属工業㈱を設立したが大戦により廃業し、航空機部品を製造、戦後細幅織物を復活。昭和26年豊村長。30年県議会議員。
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1910~
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70
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福井県丹生郡誌
ふるさと散歩道
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永田 定右衛門
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ながた さだえもん
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政治
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近代
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豊
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深江町
下氏家町
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嘉永4年(1851)藩士湯浅重次郎の次男として鯖江町に生まれる。漢籍に通じる。明治4年(1871)下氏家町永田家の養子となる。後に自由民権運動に傾倒し、政治団体南越倶楽部副会頭として幅広く活動、明治23年の第1回衆議院議員選挙で当選。板垣退助を補佐し、党の発展に尽力。大正8年歿。
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1851~1914
豊村誌にもあり
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71
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福井県丹生郡誌
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蓑輪 対岳
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みのわ たいがく
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教育
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豊
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和田町
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仰明寺生まれ、明治9年東京石川島徒場へ出張し受刑者に説諭。日本における刑務所教誨の最初。
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72
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豊村誌
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丹尾 桂
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にお かつら
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治水
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近代
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豊
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下野田町
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○
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田水灌漑に尽力
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73
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豊村誌
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牧野 亀次郎
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まきの かめじろう
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実業家
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近代
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豊
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下野田町
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慶応大学経済科卒業、昭和16年明治生命保険社長
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74
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豊村誌
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中村 応隆
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なかむら おうりょう
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仏教
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近代
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豊
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上氏家町
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曹洞宗大学林、慶応義塾、真宗大谷派大学に学ぶ。
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75
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豊村誌
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鉾碕 与左衛門
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ほこさき よざえもん
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華道
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近代
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豊
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上氏家町
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○
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号は春竹庵岡山。池坊家元から両皆伝を受け大日本総幹事となる。明治中ごろには台湾に渡り華道茶道を教える。春竹庵岡山先生碑あり。
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1860~1932
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76
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豊村誌
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渡辺 巌
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わたなべ いわお
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医学
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近代
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豊
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上氏家町
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東京帝国医学部卒業、東京帝国大学医学部外科医長
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77
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豊村誌
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佐々木 吉良
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ささき きちりょう
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軍事
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近代
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豊
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陸軍大学卒、陸軍少将
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78
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豊村誌
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西岡 龍也
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にしおか たつや
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詩吟
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近代
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豊
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○
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観世流謡曲の師
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79
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豊村誌
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藤本 幸太郎
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ふじもと こうたろう
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商学
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近代
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豊
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保険学、会計学においての我が国第1人者。
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80
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豊村誌
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渡辺 静庵
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わたなべ けいあん
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医学
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近世
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豊
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上氏家町
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西洋医学を修め、京都に遊学し諸大家に学ぶ。1844年帰郷、武生善光寺街に医業を開いた。種痘を学び、その功により大医となる。長男の洪基は東大総長。
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1812~1880
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81
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県議会史
「鯖江の先人展」
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竹内 淇
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たけうち みぎわ
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法律
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近代
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吉川
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持明寺町
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庄屋を務め、酒屋も営む(銘柄姫心)。法律学、英語を学ぶ。県議会で吉川道路費の県費全額支弁を建議。吉川橋架橋も建議。
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1858~1927
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82
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福井県丹生郡誌
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西野 利平
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にしの りへい
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治水
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近世
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吉川
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西大井町
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○
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西大井・川去の両地区の農業用水は、常に不足し絶えず水争いが起きてた。西野翁は大変心を痛め、この水不足を解消するために日野川から水を取水することを考え、1605年に江戸へ赴き、二代将軍徳川秀忠公に直訴し許可を得た。それから、約1500mの西川用水路(二ヶ用水または千人堀用水)に着手、20年を費やし完成したといわれている。
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83
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福井県丹生郡誌
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島村 日正
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しまむら にっしょう
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宗教
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近代
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吉川
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二丁掛町
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本妙法華宗の管長
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84
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南越
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青木 嘉七
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あおき かしち
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窯業(瓦業)
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近代
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神明
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85
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鯖江郷土史
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青柳 柳塘
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あおやぎ りゅうとう
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漢学者
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近世
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鯖江
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勘定奉行兼郡奉行。維新後、論文、漢詩に励み、教育に力を注いだ。明治11年没
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~1878
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86
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鯖江郷土史
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青柳々涯
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あおやぎ りゅうがい
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文学者
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近世
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鯖江
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柳塘の長子、明治39年没 郷土資料の収集に尽力。
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~1906
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87
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鯖江郷土史
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秋元 時憲
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あきもと ときのり
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詩人
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近世
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鯖江
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鯖江町
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江戸に住み、服部南郭に学び、詩集小丘園集初篇十巻を著した。
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~1783
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88
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鯖江郷土史
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芥川 希由
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あくたがわ きゆう
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藩儒者
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近世
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鯖江
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思堂の子。字は子轍、玉潭と号す。藩校進徳館創設に功大。享年56歳
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~1832
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89
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鯖江郷土史
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芥川 元澄(思堂)
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あくたがわ もとずみ
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藩儒者
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近世
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鯖江
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○
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名は元澄、号は思堂。1788年鯖江藩の招聘に応じ藩儒となり、間部家譜、鯖江誌を編纂。
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1744~1807
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90
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鯖江郷土史
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芥川 舟之
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あくたがわ しゅうし
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藩儒者
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近世
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鯖江
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希由の長男。京都後藤佐市郎に従学、ついで江戸林大学頭に入門。父の後を受けて進徳館師範となる。1859年足利学校に学ぶ。維新後、惜陰小学校に教鞭をとり、武生伝習所の一等教師となる。1890(明治23)年没74歳
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~1890
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91
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伊与 美代丸
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いよ みよまる
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医学者
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河和田
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河和田町
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地区民のため、医業に専念する一方、趣味も多彩で、特に俳句では「北吟会」を戦後復活継承し、「馬酔木」誌を歿年まで主宰。
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1894~1977
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92
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鯖江郷土史
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上田 質
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うえだ ただし
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書家
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近代
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鯖江
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大山陶斎に師事、一流の書家。惜陰小、東京府立二中、武生中学等で教鞭を執る。昭和22年歿、享年78歳
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1869~1947
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93
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鯖江郷土史
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江坂 広雄
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えさか ひろお
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教育家
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近代
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鯖江
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明治35年、東京高等師範学校英文科に進学し、ア式蹴球部創設とともに入部、日本初の近代サッカーチームのメンバーとなる。卒業後、郷里で教職に就き、武生中学校長、福井高等女学校長を歴任。教育界での活躍後、護国神社宮司となる。昭和21年歿、享年65歳
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1882~1946
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